第21回は、広島県福山市で開催されました。
「広い校庭もない。チャイムも鳴らない。 いろんな儀式も形式もない。 教科書も使わない。」そんな小学校、和光小学校を描いたドキュメンタリー映画『あこがれの空の下』を鑑賞し、そのあと、前川喜平さんのトークがありました。
映画の公式サイトはこちらです。
http://xn--v8jxcq2f151q1vam0mt0xyuukq6d.jp
司会は参議院議員・宮口治子さん。
前川さんの講演の前に、『あこがれの空の下』の監督のひとりである増田浩さんから「作品への思い、作品への反響」についてお話がありました。
増田監督
増田といいますが、映画に出てきた「増田先生」とは何の血縁関係もありません。
恥ずかしながら、和光小学校については、映画を撮り始めるちょっと前まで知りませんでした。共同監督の房満満 (ぼう・まんまん)さんという中国人の女性、僕より日本語のうまい方から「和光小学校って知ってる?」と訊かれたことから始まったプロジェクトでした。
一度、和光小学校を見学に行きました。たしかに、子どもたちが生き生きとしている。なんか、勝手に出歩いている子もいる。だけど、普通の学校っぽいかなとも思いましたが、先生の話を聞いて非常に惹かれました。
ご覧いただいたように、この学校では、入学式は新入生が一番前なんです。なぜかというと新入生が主賓なんだから。学校の先生も来賓も下なんです。それを知って、これは素晴らしいなと思いました。「先生の言う事を信用しちゃ駄目だよ」と言う。それで、これはすごく良い学校だなと思い、そこから撮影に入っていったんです。
この映画はドキュメンタリーですのでシナリオはまったくありません。一瞬先に何が起こるか分からないので、ひたすらカメラをしていきました。膨大な量を撮って、そのなかからほんの少しだけを取り出して、ストーリーになるように組み立てて作った映画です。
通うとなると、自分たちで撮るしかなく、車に酔ってしまったようなところもあります。
今日ご覧になっていただいて、よかったと思われる方、どれくらいいらっしゃいますか。
【大勢が挙手】
大変残念です。理想は、この映画を見ても、「何だ、これ、普通じゃない」と言われる日本でないと、立ちゆかなくなると思うんです。なので、日本中の、学校のあるところで上映していただいて、皆さんでいろいろ話し合っていただいて、「なんか普通じゃん」と言われるように、早くなればいいなと思っています。
続いて、元・文部科学事務次官の前川喜平さんの講演です。これまでも武蔵野政治塾には、統一教会をテーマにした回などにご登場いただきましたが、今回は「これからのあるべき教育について」をテーマにしたお話です。
【ステージには演台がないので】このシチュエーションだと、歌でも歌わなければならないかな。【笑い】
『あこがれの空の下で』「教科書のない小学校」という題の映画でした。
小学校は、国の法律によって教科書を使用しなければならないこととなっております。ですからこの和光小学校は法律違反をしています。【会場から、笑い】学習指導要領というものもありまして、それに基づいて授業をしなければいけない。ところが、それもしていない。これも法令違反です。
この映画を見ていますと、あちこちに法令違反が出てきます。しかし、この学校はずっと存続し続けていて、この学校の教育を続けているわけです。この学校ができたのは、昭和の初期ですけど、その頃から子ども中心の教育をずっと追求してきた、そういう学校なんです。
■「ゆとり教育」の時代
私は7年ほど前まで文部科学省におりまして、面従腹背が功を奏し、最後は官僚の最高ポストと言われている事務次官にまでなりました。実は、文部科学省にいる間ずっと、非常に居心地の悪い思いをしてきました。つまり、自分が考えている「あるべき教育」の姿と、文部科学省がやっていることとの間のギャップが大きすぎて、嫌だなということが多かった。特に公務員人生の後半がそうでした。
38年の公務員生活の前半の約20年間は、そうでもありませんでした。前半は、「ゆとり教育」の時代で、私はこれでいいんだと考えていました。子どもたちが自分で考えて、自分で学ぶ。そして自分たちで話し合って、自分たちで自分たちのことを決めていく。こういう教育を目指そう。そして、学校がやるべき仕事とは、子どもたちに自ら学ぶ力をつけてやることだ。たくさんの知識を詰め込むことではなく、自分から進んで主体的に、前向きに、これはなぜだろうと考えるようにすることだ――そう思っていました。
この映画のなかには「はてな」がたくさん出てきましたが、自分の「はてな」を大事にしながら学んでいく。そういう自ら学ぶ力がついた子どもたちは、学校の外でも学ぶし、学校を出てからも学ぶ。それが生涯学習だ。生涯学習の基礎となる「自ら学ぶ力」をつけることこそが、学校教育の一番大事な役割だ――こういう考え方のもとでやっていたのが、「ゆとり教育」です。
■「ゆとり教育」への批判
ところが、その「ゆとり教育」にバッシングが起こり、「こんな、ゆとり教育をやっていたら、日本の子どもたちの学力は低下する」と言われました。しかし、実際は低下していなかったんです。PISAというOECDの国際学力調査の結果では、小学1年から中学3年まで、どっぷりと「ゆとり教育」で学んだ子どもたちが、日本がいちばん良い成績をとったときだったんです。その後、「脱・ゆとり教育」となり、授業時間数も増えたんですが、PISAの成績順位は下がっています。特に読解力、読み取る力が下がりました。
ゆとりがないと読み取る力は出てこない。この映画でも、国語の授業の中でじっくりと時間をかけてやっていましたが、あれくらい時間をかけなければ読み取る力は育たないんです。ゆとりは必要なんです。
「読み取る力」とは、実は嘘を見抜く力でもあります。読解力が低下すると、政治家の嘘が見抜けなくなります。これはやばいです。
文部官僚だった私から見ると、この和光小学校はいまでも「ゆとり教育」をやっている。
■「大正新教育」から生まれた成城学園
和光小学校は、1933年、昭和8年に開校しました。その後は軍国主義の時代になりますから、非常に苦しい時代を乗り越えて、戦後また人間中心の教育をやっています。
和光小学校ができたその前の時代、「大正新教育」または「大正自由教育」という時期がありました。この時期の教育は、実は今も生きている、日本の近代教育史のなかでも非常に大切な時期でした。和光小学校を作った保護者や教師たちは、もともとは成城学園の教師や、そこに通う生徒の保護者だったひとが多いんです。成城学園から派生したと言っていいと思います。
成城学園は、1917年、大正6年に澤柳政太郎という文部次官だったひとがつくりました。私の遠い前任者に当たります。戦前は国家主義的な教育が行なわれていたんですが、その中においても、児童中心の教育が大事なんだという考え方を持った教育者もいたし、文部官僚もいたんです。
しかも澤柳は文部省の次官だったんですから、当時、つまり大正の文部省は子ども中心主義をとっていたわけです。
ざっくりと言えば、150年の日本の学校教育の歴史は、1945年を境にして、それ以前は国家主義的な教育、その後は人間主義的な教育です。国家と人間との関係で言えば、戦前は、人間よりも国家が大事だ、お国のために命を押させるような国民を育てることこそが学校の使命なんだという考え方で教育は行なわれていました。
戦後はそうではなく、人間が大事なんだ、国というのは人間を大事にするためにある、となりました。ひとの命と国との関係で言えば、ひとの命を大事にするために、ひとりひとりの命を守るためにこそ国はあるんだという考え方の新憲法のもとで、教育を考えていました。
大雑把に言えばそういうことです。
■「大正新教育」とは子ども中心主義
ひとよりも国が大事で国のために命を捧げろというのが戦前、国よりもひとが大事で、ひとの命を守るために国があるのが戦後。こう考えることができますが、そう簡単なものでもないんです。
戦前の黒い教育から白に教育にパッと変わったわけではなく、戦前の「お国が大事」という教育体制のもと、教育勅語のもとにおいても、「大正新教育」「大正自由教育」という、子ども中心主義的な教育がありました。
成城小学校はそのひとつの大きなきっかけになり、成城小学校から派生して、玉川学園、明星学園、そして和光学園と、「三兄弟」と呼ばれる学校が生まれました。
そして私立学校だけでなく、公立学校の先生たちのなかにも「大正新教育」という運動をしていたひとがたくさんいました。
たとえば、「自由画」「自由作文」があります。それまでの明治の教育では、図画というのはお手本通りに描くのが一番だという考えでした。綴方(つづりかた、作文のこと)にしても、お手本のようにうまく話をつなげて書くのがいい作文なんだという考え方でした。
それを子ども中心の考えに改めて、子どもが見たまま感じたままに絵を描く、子どもが思ったままのことを、自分の生活の中から見出したものを書いていくのが大事だという、「生活綴方運動」が、大正時代には広く日本全国で行なわれていたわけです。
■トモエ学園の誕生
しかしそういう運動は軍国主義のもとで、どんどん弾圧されていきます。昭和になると、「自由図画事件」(生活図画事件)や「自由綴方事件」など、自由な図画や自由な綴方を実践していた教師や生徒たちが治安維持法違反で検挙される事件が起きました。
戦前は国家主義的な教育だった、教育勅語体制にあったとはいえ、成城学園や和光学園のような、自由な教育、子どもの主体性を大事にする教育は存在していたんです。
そして、先ほどの「三兄弟」以外に、もうひとつ成城学園から派生した学校がありました。成城小学校で幼稚園の担当をしていた小林宗作が、自由ヶ丘学園の小学校を引き取って作ったトモエ学園です。『窓ぎわのトットちゃん』に出てくる、黒柳徹子さんが通っていた学校です。
この学校は、『窓ぎわのトットちゃん』をお読みになった方は分かると思いますが、きわめて自由なんです。この学校は教科書を使わないでプリントだけでやる。しかもこの『窓ぎわのトットちゃん』の頃は、そもそも校舎がなく、電車が校舎、教室でした。座る場所も決まっていない。つまり、この電車は指定席でなく自由席なんです。だから朝、学校に着くと、「どこに座ろうかな」と、自分の席を決めるところから始まる。そして時間割もない。1時間目、2時間目などがなく、自分のやりたいところから勉強する。一斉授業じゃないんです。寺子屋式です。ひとりひとりがいろいろな課題をしている。だから子ども側からすれば、1対1で学ぶ。こういうやり方をしていたんです。
■軍国主義のもとで自由な教育ができた理由
とにかくトモエ学園では自由な教育をしていました。
黒柳徹子さんがこの学校に入ったのは1940年です。まさにもう軍国主義の時代なんです。日中戦争が始まってもう3年が経ち、1年後には太平洋戦争が始まるという、そんな年に、黒柳徹子さんはトモエ学園に入学しています。
私はずっと不思議だったんです。こんな軍国主義の時代に、どうしてこんな自由な学校が存続しえたのか。和光学園も戦争中はものすごく苦しかったと思います。いろいろと国から、ああしろこうしろと言われて、「これができなければ取り潰すぞ」と言われていました。
1941年には国民学校令ができました。これは、原則として私立学校は認めないという制度でした。ただ、いま存在してる学校は、しばらくの間は、お目こぼしで存続を許してやるから、言うことを聞けよという制度です。
そういう中で、非常に苦しい思いをしながら、自由主義的な学校が何とか生き延びていったんです。
それにしても、どうしてトモエ学園は生き延びられたのかが、私は長い間、疑問でした。けれども、最近、はたと分かったんです。要するに、当時の体制側の学校からはじき出された子ばかりが集められていたんです。
今もある制度ですが、戦前戦後と一貫してある、非常に問題のある制度として、就学免除があります。これは「あなたは障がいがあるから学校に行かなくてよろしい」という制度なんです。
トモエ学園にいた子どもたちは、みんなそうやって、既存の学校からはじき出された子どもたちだった。だから、当時の文部省から見れば、言ってみればゴミ箱みたいな学校だったんです。要するに、お国の役には立たない子どもたちを集めて、居場所だけ作ってやればいい。
そういう、国から見ると、役に立たない人間を収容する場所という意味で、存続を許されていたのかなと思います。
■戦後教育の逆コース
戦後は、人間中心、つまり「個人の尊厳」という、憲法13条に出てくる「全て国民は個人として尊重される」という考え、ひとりひとりの人間の尊厳というものが一番大事だという考え方で、教育基本法もでき、いわゆる人間中心の教育になったはずなんです。
戦後の、少なくとも数年間は、そういう考え方で新しい民主主義の教育をしようという息吹があふれていた時期なんですが、朝鮮戦争があったり、アメリカでは赤狩りがあったりし、日本は共産主義に対する防疫になるんだというアメリカの戦略もあったのかもしれませんが、政治の世界でも、サンフランシスコ平和条約締結・発効を境にして、いわゆる「逆コース」と呼ばれる時期となり、教育が中央集権的に戻っていきます。
たとえば教育委員会は、住民の選挙で選ばれていましたが、これを任命制に変えた。しかも教育長は、文部大臣の承認がなければならないという、きわめて中央集権的な方向に変えていきました。
学習指導要領は、1958年の岸信介内閣のとき、告示という法令の形式を取って出来たもので、学習指導要領通りに授業をしなければならないという仕組みを作ってしまった。
それ以前も学習指導要領はありましたが、単なる手引き書であって、「全国の先生方は参考にしてください」という程度だったんですが、1958年以降、この通りに教育しなければ違法だということになりました。和光小学校は、今でもその違法行為をやっているわけですが。
このように、国が国策として教育に介入するようになってくるのが、1950年代後半、昭和30年代からで、非常に画一的な教育となっていきました。学習指導要領に基づいて、詰め込んだ教育を行なう。それは、国の目的に沿ったものでした。どういう目的かというと、復興から経済成長への時代、日本経済を支える均質的な労働力を生み出すのに、非常にマッチした制度だったんです。
これは戦前の教育制度が、富国強兵・殖産興業という大きな目的にかなったものだったのと同じ意味で、国家目的に非常に合致したものでした。しかし、ひとりひとりの子どもの命とか個性を犠牲にして成り立っている教育でした。
■中曽根内閣の教育改革の狙い
それに対する反省が生まれてきたのが1970年代で、私はその頃は学生でした。文部省に入ったのが1979年で、その頃には、それまでの画一的な教育への反省が生まれ、もっとひとりひとりを大事にする教育に変えていく必要があるという曲がり角に来ていました。その頃に、私は文部省に入ったんです。
その後何が起きたか。1980年代に中曽根内閣ができ、臨時教育審議会を作りました。中曽根さんの考えていた教育改革は国家主義でした。人間よりも国家が大事だという価値観を子どもたちにも植え付け、そういう立派な日本人を育てた上で、その立派な日本人によって、立派な日本人の憲法に作り変えていこうという、こんな壮大な計画が中曽根さんにはありました。
だから、教育基本法はアメリカの押し付けだと言って、これを変えなければいけないと、中曽根さんは考えていたんですが、残念ながら、臨時教育審議会は中曽根さんの思惑通りには動かなかったんです。その結果、この臨時教育審議会が1987年に出した最終答申では、第一に「個性重視の原則」を打ち出したんです。ひとりひとりの子どもたちの個性を大事にするんだということです。その根っこにあるのは、個人の尊厳である。ひとりひとりの子どもたちに尊厳があるんだという考え方です。
2番目が「生涯学習」です。「学ぶ」ということは、学校の外でも、学校を出た後でも学ぶことが大事なんだ、学校だけが学びの場ではないんだということです。
そこから導き出されたのが、学校というのは生涯学習の基礎になる、自ら学ぶ力をつけるべきところなんだという考え方になり、そういう教育をするためには、たくさんの知識を詰め込むのではなく、ゆとりが必要だという考えでした。
「総合的な学習の時間」ができたのも、そういった考え方のもとでした。「総合的な学習の時間」には教科書はありません。ところが、教科書を教えることに慣れ親しんでしまっていた教師たちの間からは、「教科書がない時間を作られても困る」という不安の声も出てきたんです。それに対して文部科学省は「そこは自分たちで考えてください」と切り返していたわけです。
和光小学校なんかは、もともと「総合的な学習の時間」みたいなことばかりをしていましたから、教科書がない時間を作られても困るなんてことは、一向に思わないわけです。
■国家主義と人間主義のせめぎあい
ですから、150年間の日本の近代教育の歩みを振り返ってみると、過去、国家主義一色でもなければ、人間主義一色でもなかった。国家と人間のせめぎ合いがずっと行なわれてきていて、全体として、国家のための教育という制度、教育勅語のもとであっても、「大正新教育」というものはありえたし、その流れを汲んだ学校が今も生き残っている。
戦後の民主教育も、非常に自由な教育が花開いたんですが、そのあと、国家主導の経済成長のための教育に押しつぶされている時期があった。その後、その反省に立って、「ゆとり教育」が出てきた。
「ゆとり教育」はやはり、子どもを第一に考える個性重視の原則、ひとりひとりの子どもの個性を大事にする教育をやろうとした。それに対してまたバッシングが起きて、「ゆとり教育」では学力が低下すると言われて今に至るわけです。
2010年代から現在までの十数年間の教育は「脱・ゆとり教育」と言われていますが、私から見ると、「ゆとり教育」から「詰め込み教育」に戻ってしまっている。さらに、詰め込み教育に戻っているだけではなく、国家主導、国の意に沿う国民を育てる教育政策になってきています。
■道徳の教科化
その一番大きな例は「道徳の教科化」です。
2006年に教育基本法が改正されて、愛国心や道徳心、学校における規律などを強調する条文が散りばめられたんです。私自身、文部科学省の中にいて、教育基本法改正には反対だったんですが、やらされた仕事は、この法案を通すための国会対策でした。役所にいれば、やっていることと考えていることが違うのは、往々にしてありましたが、これが最たるものです。
この教育基本法改正で勢いづいた政治家たちは、「教育基本法が改正されたから教育勅語が復活できる」という考えを持っているわけです。実際に2014年、当時の下村博文という文部科学大臣は、「今後、教育勅語を教材として使って差し支えない」という答弁をしました。教育勅語を学校の道徳の時間において教材としてとして使って差しかえないというのが、いまの文部科学省の公式見解です。
教育勅語には、たとえば、「爾臣民父󠄁母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ」という道徳が書いてあり、これは今でも通用するんだと、今の政権は主張してるわけです。しかし、これは家父長制のもとでの道徳なんです。「夫婦相和し」と言ったって、夫と妻の間には身分差別があるわけです。「兄弟仲良く」と言っても、家督相続権のある長男とそれ以外の兄弟とでは身分差別がある時代の道徳ですから、今日でも通用する普遍性があるとは到底言えないわけです。しかし、今や教育勅語は、学校で教えてもかまいませんという話になっている。
国が、道徳を国民に教え込むために、道徳の教科化が必要だというのが政治課題になってしまいました。道徳の教科化は、戦前の「修身」の復活に他ならないわけです。教科にして、国がこれだったらいいという検定教科書を使わせ、その教科書で学んだことがちゃんと身についたかどうか、子どもひとりひとりについて、学習成果を評価する。そのためには、教科にしなければならないとなりました。
■岸内閣が設けた「道徳の時間」を継いだ安倍内閣
「道徳の時間」を設けたのは1958年、学習指導要領を告示したと同じ年、岸信介内閣のときです。その時の「道徳の時間」には決まった教科書はないし、評価をしなくていい、成績をつけなくてよかった。
当時の学校は日教組の組合員が9割いるのが当たり前でしたから、現場サイドでは、ほっとかれ、握りつぶされたんです。国の政策が学校現場まで行き渡らなかった。だから、50代以上の方なら、学校に「道徳の時間」があったと思いますが、あまり道徳的なことを勉強した覚えがないでしょう。それは学校の現場で、先生たちがその「道徳の時間」を適当に使っていたからなんです。それではいかんというので、政治の側から、これを教科にしなければいけないとなりました。
最初に、道徳の教科化を言い出したのは、森喜朗内閣のときです。2000年12月に、教育改革国民会議の報告が出て、そこで初めて言われましたが、実現しませんでした。その次に同じように道徳の教科化を提言したのが、2006年の第1次安倍政権ときの教育再生会議ですが、これも実現しなかった。
その安倍さんが次に首相に就任したのが2012年12月で、今度は「教育再生実行会議」を作り、そこが出した最初の提言が、道徳の教科化なんです。「教育再生実行会議」と「実行」の2文字が入ったのは、第1次安倍政権の教育再生会議が目指した「道徳の教科化」が実行されなかったから、今度こそ「道徳の教科化」を実行するぞというので「実行」という言葉が入り、実際、実行されてしまったわけです。
問題は教科書です。この教科書は非常に問題のある教科書です。なぜ問題になるか、おかしなことになったかというと、モデルになる教科書を国が先に作ったからです。下村博文さんという文部科学大臣が2014年に、「検定教科書のモデルになるような教科書を先に作る」と言い出して、作ってしまった。
それまでは、誰も道徳の教科書を作ったことはない。そこにモデルを作ったので、教科書会社は、こういう教科書を作れば検定が通ると分かり、国が作った教科書をモデルにして、検定教科書が作られたわけです。
その検定教科書に入っている教材というのは、国が「これこそが道徳だ」「これが正解だ」というものを、子どもたちにそのまま伝えるような内容になってしまっている。
でも、本来、道徳というのは大人だって迷いながら考えているわけであって、正解なんてないわけです。中央教育審議会は、「考え、議論することが大事だ」と言っていますが、教科書はそうなっていないわけです。
■文部科学省の言うことをきいたらダメ
結論から言うとして、今の文部科学省の言うことを聞いていたらダメだと思います。和光小学校のように、文部科学省の言うことを聞かない学校が必要です。
実は、公立学校の中にも、文部科学省の言うことを聞かない学校があります。
他にも見ていただきたい映画があります。たとえば、『みんなの学校』という映画です。
http://minna-movie.jp/
これはインクルーシブ教育を実践してきた、大阪の大空小学校という公立学校の一年を描いたドキュメンタリーです。
『夢見る小学校』という映画もあります。
https://www.dreaming-school.com/
私立の「南アルプスこどもの村小学校・中学校」のドキュメンタリーです。この学校も文部科学省の言うことを全然きかない学校です。
その続編で、『夢見る校長先生』という映画もあります。
https://dreaming-teacher.jp/
これは公立小学校の校長先生ばかりが出てきます。そのなかの長野県伊那市伊那小学校は、ここも教科書を使わない学校なんです。教科書使用義務違反です。でもそれを公立の学校で長年、堂々とやっているんです。
今日の『あこがれの空の下』と、いまの3本もあわせて見ていただくといいんじゃないかと思っております。
■いまの子どもは22世紀を生きる
今日、私は「これからのあるべき教育」というテーマで話すことになっています。
「これからのあるべき教育」と言っても、教育の本質は、そう変わらない。大正時代から変わっていない。子ども自身が学ぶ力をつけていくことが大事なんだということです。
もちろん、与えるべきスキルは、変わってきます。今の時代、ICTをどうやって使っていくかは大事だと思います。
しかし究極のところ、自身が学ぶということが大事なんです。そういう力をつけていくことが大事です。
和光小学校の子どもたちも、この福山の学校で学んでいる子どもたちも、22世紀まで生きていくわけです。この会場にいるひとたちは、だいたい21世紀中に死に絶えます。
だから、いまの子どもたちは、我々の預かり知らない、思いも及ばない未来の時代を生きていくわけで、その未来の時代は、彼ら自身が作っていくしかない。
自分たちで、自分たちの社会を作っていく力を与えてやることこそが、一番大事な教育の目的だと思います。
■クレイジーキャッツの「学生節」の予言
せっかくですから、最後に、一曲歌って締めたいと思います。
私の若い頃にクレイジーキャッツが歌っていた曲で、今歌ってみると、なるほどこれこそが教育の本質だと思っています。「学生節」という歌です。(作詞: 西島大 作曲: 山本直純)
♪ 一言文句を云う前に
ホリャ親父さん ホリャ親父さん
あんたの息子を信じなさい
ホリャ信じなさい ホリャ信じなさい ♪
と始まりまして、これが一番で「親父と息子」で、二番は「お袋と娘」、そして三番が「先生と生徒」なんです。三番を歌います。
♪ 一言文句を云う前に
ホレ先生よ ホレ先生よ
あんたの生徒を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
道徳教育 こんにちは
おしつけ道徳 さようなら
あんたの知らない明日がある
ホレ明日がある ホレ明日がある ♪
まだ続くんですが、このへんにして、解説します。
「あんたの生徒を信じなさい」は、まさに和光小学校なんです。
そして「道徳教育 こんにちは」は道徳の教科化を予言したかのようです。そして、「おしつけ道徳さようなら」なんです。
文部科学省が検定した教科書なんですから、まさに「押し付け道徳」ですから、さようならなんですよ。和光小学校は教科書がないから、やっていないんです。
その後に、「あなたの知らない明日がある」です。つまり22世紀は、我々の知らない世界なわけです。そういう我々の知らない世界で、子どもたちは生きていく。我々の及ばない、見ることができない明日を生きていく彼らを、信じなければだめだという、そういう歌なんです。
これは和光小学校の校歌にしてもいいかもしれません。
【最後はクレイジーキャッツの歌という意外な展開で、前川さんのお話は終わりました】
質疑応答編
会場の方1
藤本ひでのりといいます。市議会議員です。
全国学力調査テストというのがありますが、どうしても自治体独自の共通テストをやっているところと、やってないところでの格差が生じてるんじゃないか。学力調査結果の格差がそういう自治体の取り組みによって出てきてるんじゃないかなと思い、深堀りしまして、自治体で教育委員会と話しています。
和光小学校のような教科書のない学校ですと、こういう学力調査テストの結果については、どう捉えているのか疑問が生じています。
学力調査テストにおいて、文科省の目的のポイントと、前川先生の全国学力調査についての考え方、捉え方についてお聞かせください。
■全国学力テストは廃止すべき
私は、全国学力テストは廃止すべきだと思っています。止めるべきです。
文部科学省の官僚は、本当はやりたいと思っていなかったんです。2007年度、小泉政権で始まったんですが、これはイギリスでサッチャー首相のもとで始まった教育改革を真似た部分があります。新自由主義の考え方で、要するに、学校を競争させろということなんです。あるいは自治体に競争させる。
競争させれば、みんな他よりも良い成績を取るようにがんばるはずだ。結果的に、全国の子どもたちの学力が向上するはずだという考え方なんですが、むしろ今となっては弊害の方が大きいことが明らかになっています。
もともと文部官僚たちはやりたくなかったんです。なぜかというと1950年代に、全国の中学3年生にたいして全国学力テストをやって、失敗した手痛い経験があるからです。46都道府県(沖縄県は復帰前)の間で、激烈な競争が起きたんです。最初は1956年か57年だったんですが、1位は香川県でした。2年目も香川県です。そうなったら、隣りの愛媛県が香川に負けるなと、学力テスト対策をして、3年目は愛媛県が1位になった。その間に、いろいろと問題が生じました。
要するに、テストで点数を取るための授業ばかりするようなってしまう。追試を繰り返しやってテストで高い点数を取る訓練ばかりをするようになってしまう。そして不正も起きたんです。「間引き」とか「田植え」という言葉が残っていますが、「間引き」は、成績の悪い生徒は「明日は来るな」と言って受けさせない。「田植え」は、先生が試験中に机の間を動きながら、指でさして正解を教えた。こういう不正までして点数を上げようとする、反教育的なことが起きました。
日教組も大反対して、あちこちで実力阻止の闘争が起きました。それで、4回やって止めたんです。文部省はそういう手痛い火傷をした記憶があるので、こんなことやるべきではない、必ず不毛な競争が起きるからやるべきでないと考えていました。
先ほど申し上げたように、自ら学ぶ力が大事なんだという学力観にも立ち、そういう学力は、国語と数学だけのペーパーテストで分かるものではない、ペーパーテストでは測れないものが大事な学力であると考えていました。
国語と数学だけのペーパーテストだけで学力だとなってしまうと、そこばかりに集中してしまい、他の教科はないがしろにされてしまう。
たとえば、子どもが学力テストの問題を見て、「これは見たことがない問題だ。これはちょっと一生懸命考えてみたい」と思って、考えているうちに時間になってしまい0点になることだって起こりうるわけです。テストで点数を取るためには、分かりきった問題からやれとなっています。簡単な問題からやれということになる。学力テストや入試では、そういうテストの受け方が大事なんです。
でも、和光小学校の子どもたちだったら、分からない問題の方に関心がいくと思うんです。「はてな」の方に関心がいってしまって、分からないことを分かろうとしているうちに、テストの時間が来てしまったら、0点になってしまうわけです。難しい問題にチャレンジしようという姿勢を、つぶしてはいけない。テストで点数を取るためのテクニックばかり覚えてしまうのは、非常によろしくない。
だから私は、学力テストは早く止めた方がいいと思っています。文部科学省は、「悉皆調査(しっかいちょうさ)」だと言っています。
間違いなく、和光小学校はやっていませんが、違法でも何でもないんです。全国学力テストに強制力はないんです。全ての学校に加わりなさいという法的拘束力はありません。
文部科学省が勝手にこれを「悉皆調査」ですと言っているだけなんです。実際、公立学校でも、初年度の2007年と08年度は、愛知県犬山市の教育委員会は、自分たちが考えている教育のあり方とは矛盾すると言って、加わりませんでした。しかしその後、市長が代わり、教育長や教育委員が代わって、犬山市も加わり、3年目以降は全ての市町村教育委員会が参加しています。
私は一種のファシズムだと思います。任意なので、私立は半分ぐらいしか参加してませんが、公立学校は、任意なのに全部が参加した。ひとつつやふたつ、うちは参加しない所があってもおかしくない。実際、犬山市は最初の2年間は参加しなかった。
福山市でいっぺんやめたらどうですか。【拍手】やめる権限は100%あるんですから、弊害が多いからやめてみる。やめた上で弊害が生じたら、復帰することも考えたらいいと思います。
このままやると、教育がいびつなものになる。国語と数学のペーパーテストばかりに気を取られて、他のところが疎かになっている。だったら、一度参加するのをやめてみたらどうかと。
他の市町村と比べたり、学校同士を比べたりするのはやめようという議論がどこかで起きてもおかしくないと思うんですけども、今の教育委員会は文部科学省に完全に飼い慣らされていますから、文部科学省が言った通りのことをするんでしょう。
これがはっきり分かったのは2020年のコロナ禍での全国一斉休校のときです。あれは安倍さんがトチ狂って言っただけなんです。それに対して文部科学省が通知を出したら、もう全ての教育委員会が従ってしまった。
県立学校で全国一斉休校を言わなかったのは島根県だけです。しかし、島根県の教育委員会は文部科学省に従おうとした。そうしたら、知事が「おかしいだろ」と、まっとうなことをおっしゃって、そこで県立学校については休校にしなかった。でもその島根県も、全国学力調査には加わっています。
ということで、私の全国学力テストへの意見は、早くやめろということです。
参加は任意なんだから、地方自治を発揮して、もう来年はうちはやらないとこういう市町村がひとつやふたつ出てこいよ、と思っています。
司会の宮口さん
いまの方は広島県府中市の市議会議員なので、まず、府中市からやめてもらいましょう。
時間がなくなってしまいましたので、あとおひとり。
会場の方2
宇佐と申します。
ひとに言われたことを信じて、日本人は振り込み詐欺にあいました。イスラエルが発表したことも信じます。昔から考えると、大虐殺です。
文部省は、ひとを疑わなければいけないということを、教える気があったのかなかったのか。その辺をお伺いいたします。
前川さん
「ゆとり教育」の時代に、大事だと考えてたのは、自ら考える力なんです。いまも建前はそうです。自ら考える力とか、自ら判断し、自ら行動する力というのは、これはひとの言いなりにならないことと、ひとの言っていることを鵜呑みにしないということですから、ひとに騙されないってことです。
和光小学校のような教育実践やっていれば、簡単にひとに騙されるような人間にならないはずなんです。簡単に騙されない人間になって初めて、民主主義の担い手にもなれると思うんです。
「NHKが言っているから本当のことなんだ」なんて信じ込まないことです。偉いひとが言っているとか、大手メディアが言ってるかで、信じ込むような人間にならないことが、本当の教育だと、私は思います。
最後に、武蔵野政治塾の橘民義・事務局長からの挨拶です。
武蔵野政治塾は去年の10月に始めまして、1年ちょっとで、21回になりました。
毎月2回ぐらいのペースでずっとやっていて、しかも、いつもどこへ行っても満員で、本当にありがたいことです。前川さんには3回登場していただきました。前川さんでもっているようなものです。
私は3年間だけですが、福山に住んでいました。広島大学付属福山高等学校に入りまして、17回生です。
私がなぜ政治塾をやっているか、お話しします。
ガザでは、子どもたちが、薬がないから死ぬとか、食べ物がないから死ぬとか、おじいちゃん、おばあちゃんが人質にとられたとかが起きています。人間がしてはいけないことが起きています。
戦争っていうのは絶対にしてはいけない。今日も、たくさん政治家の方がいらっしゃいますが、政治の一番大きい役割は、絶対に戦争をしないことなんです。【拍手】
ところが、いまの政権は軍備を増やすと言っている。日本が軍備を増やしてどこと戦争をするんですか。馬鹿なことを言っちゃいけませんよ。軍備を増やすというのは、「戦うぞ」と言っているようなものです。「防衛」と言っても、本当は戦うためのものだから、向こうも余計に喧嘩腰になる。一番、バカなことをしているわけですよ。そのために「増税します」と言う。
「増税します」と言ったら、「増税メガネ」と言われ、笑われて叱られたもので、「減税します」と言う。なんですか、その政治は。どっちなんですか。というのが、今の政治なんですよね。だから岸田内閣の支持率もどっと下がってます。
問題はここからです。だったら、どうしたらいいのか。政権を任せられるひとがいないというのが、残念です。今日もたくさんの政治家の方いらっしゃっています。私も昔、岡山県議会で3期務めさせていただきました。
政治家のひとたちに全部押し付けて、「政治が悪いんだ」と言うのも、間違っている。そういう政治家を支えたり選んだりしている、参加しているひとたちの気持ちや応援や活動があって、初めて政治があるんです。
武蔵野政治塾はたいしたことありません。だけど、こうやってみなさんに集まっていただいて、それを考えようとしています。どんなに小さくてもやろうと、いつまでたっても諦めない。そうしないと、前川さんがおっしゃっていた22世紀まで、子どもが生き残れません。
戦争をやって、何が生き残るんですか。こんなに気候変動があって、何も対策しなかったら地球がつぶれてしまいます。そういうギリギリの中で私たちは今、ここで生きてるんだ。
そういう気持ちで、武蔵野政治塾は、ほんのわずかなことをさせていただいております。