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【活動報告】第11回「原発をとめた裁判長」上映会in吉祥寺アフタートークを公開

第11回は、前日の第10回(3月11日)に続いて、東日本大震災・東電福島第一原発事故から12年なので、原発を考える企画として、映画『原発をとめた裁判長』の上映会を開催しました。
映画『原発をとめた裁判長』は、タイトルの通り、関西電力の大飯原発に対し運転停止命令を下した、福井地方裁判所裁判官・樋口英明さんを描いたドキュメンタリー映画です。サブタイトルに「そして原発をとめる農家たち」とあるように、映画の後半では、ソーラーシェアリングに取り組んでいる農家も紹介されています。
【映画については、こちらを御覧ください。https://saibancho-movie.com/】

12日は吉祥寺パルコの地下にある映画館アップリンク。事前のお申し込みで満席となりました。
ゲストは、この映画の「主人公」である、樋口英明さん(元福井地方裁判所部総括判事)。
さらに、飛び入りで『原発をとめた裁判長』の監督、小原浩靖さん、そして原発事故当時の総理大臣・菅直人さんも参加されました。
司会は、俳優・アーティストの金子あいさん。
金子さんについては、こちらを御覧ください。

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金子あい
武蔵野市在住の俳優の金子あいと申します。吉祥寺で、「フクシマを思う」というチャリティーライブを、2011年5月からずっと行なっています。
【「フクシマを思う」については、こちらを御覧ください。
https://aikaneko.com/category/fukushima/】
1月29日には樋口さんにおいでいただきまして「私が原発を止めた理由」というライブイベントをしまして、今日はそのご縁で参りました。
では、まず武蔵野政治塾事務局長で、映画『太陽の蓋』の製作プロデューサーでもある橘民義さんにお話しいただきます。

橘民義
今日は会場に、元総理の菅直人さんもいらしてます。菅さんは3.11のときの総理大臣で原発の対処に当たっています。先ほどご紹介いただいた『太陽の蓋』という映画は、そのときのやりとりを描いた映画です。
今日のゲストは樋口英明さんです。樋口さんとは、1月4日に、「いま原発新設の謎」という題で緊急対談させていただき、その模様はYou Tubeで公開していますので、ぜひご覧ください。

では、樋口さん、どうぞ。【樋口英明さんが、登場】

樋口英明さんです。【拍手】
私はこの映画に出てくる樋口さんの判決を、菅直人さんと一緒に目の前で聞いていて、とても感動しました。

金子
この映画が公開されてからも時間がたっていますし、判決からはもっと時間が過ぎていますので、樋口さんのその後のご活動を含めて、お話しいただけたらと思います。

■大谷選手の座右の銘「先入観は可能を不可能にする」
樋口
私は35年ぐらい裁判官をやっていました。35年もやるとどういう特性を持つかと言いますと、ひとの話を聞くようになります。岸田さんとは、聞き方が全然違いますよ。【会場から笑い】
裁判官は、ひとの話を聞く仕事です。喋る仕事ではありません。だから、映画のなかでも、(弁護士の)河合さんはスムースに話していますが、私はもたついています。喋りが上手ではないとおわかりだと思います。
こういう場では、何かツカミの話が必要だと分かっておりますので、最近は大谷翔平選手の話をしています。
大谷選手の座右の銘があります。高校時代の佐々木監督から引き継いだものなんですが、「先入観は可能を不可能にする」です。
思い込んでしまうと、できないんですね。大リーグの歴史は130年くらいですが、これまで大谷選手以上の才能を持った人は、アメリカにもきっといたはずなんです。だけど誰も二刀流は成功していない。監督とか先輩とかコーチが、「バッターと投手を兼ねられるわけがない」と言うので、誰もやらなかった。
そういう先入観を持った途端、選手は育たない。
私は今から40分の間で、原発の話と原発訴訟の話と地震の話と防衛の話と憲法の話をしようと思っています。40分で話せるわけがないと思った途端に、私の話は耳に入らなくなります。【笑い】

■原発のポイントは2つだけ

原発の話は極めてシンプルです。映画をご覧になってお分りになると思います。
ポイントは2つだけ。ひとつは「人間が管理し続けないといけない」。この点が火力発電所と似ているようで、根本的に違うところです。
火力発電所は、「不具合が生じました」「どうしますか」「火を止めます」。これで終わりです。燃料の供給を停止してもいいし、空気を遮断しても水をかけてもいい、何とか火を止めればいい。万一、止めそこなっても、燃料が尽きれば、安全の方へ向かいます。
でも原発は何かあったら、止めるだけではだめなんです。後が大変なんです。冷却し続けなければならない。つまり電気で水を送り続けなければならないんです。
福島原発事故は、津波で、あるいは地震で大事な部分が壊れたから起きたのではなく、停電しただけの話です。
停電して管理できなくなって、ああいう大惨事になりました。他とは全く違うんです。
不具合が生じたとき、家電ならコンセントを抜けばいい。自動車でガソリン漏れしたら、クルマを止めてJAFを呼べばいい。
だけと、原発だけは管理し続けなければならない。そして管理しそこなった場合の事故の大きさは筆舌に尽くしがたい。こんなものは他にないです。
あえて言うと、ゴジラですね。
人が水と電気を与え続けて管理している限りはおとなしい。でも、電気または水を与えなくなると、どんな丈夫な檻に入れてあるゴジラでも、その檻を打ち破って暴れだします。暴れ出したら誰も止められない。

■3人の最高責任者が覚悟した「東日本壊滅」

当時、東電の福島第一原発の現場の最高責任者の吉田昌郎所長は、「東日本壊滅」を覚悟しました。
日本の原子力行政のトップの原子力委員会委員長の近藤駿介さんも「東日本壊滅」を覚悟しました。
日本の行政のトップの総理大臣の菅直人さんも「東日本壊滅」を覚悟しました。
「東日本壊滅」は日本の崩壊です。
このことが分かっているかどうかという話です。原発訴訟の本質はそこにあります。
原発はとてつもなく危ない。被害がとてつもなく大きい。東日本壊滅、日本を滅ぼすほどでかい。ということがわかった途端、先入観が働きます。「それだけ被害がでかいんだったら、それなりには安全に作ってあるだろう。それなりに耐震性が高いはずだ」と思ってしまう。それは、原発に賛成しているか反対しているかは無関係です。理知的かどうかとも無関係。むしろ、理知的な人ほど、そう思ってしまう。日本の社会が全部、安全になっているからです。
たとえば新幹線と在来線の特急とは違います。新幹線は、踏切をなくして安全性を高めました。なぜなら、踏切で大型トラックと衝突して脱線転覆すると大惨事になるからです。
自然界だってそうです。マグニチュード9の地震なんて、100年の間に5回しかない。だけど、マグニチュード6程度の地震なら、日本の周辺で毎月のようにある。マグニチュード5程度なら毎週のようにある。
だから、被害がでかいと言われた瞬間に、「それなりに安全だろう」と思ってしまう。だけど、現実は原発だけが唯一の例外です。被害がでかい上に、耐震性が低いので事故発生確率が高い。
単純な話なんです。これを「樋口理論」と言うんですが、「理論」というのが恥ずかしいぐらいに、当たり前な命題です。

■地震について規制委員会はどれくらい審議したのか
地震大国なのに耐震性が低いのは、怖い。だから、何か言い訳を考えたくなるでしょう。原発に賛成してするか反対しているかをかかわらず、この現実自体が怖いんですよ。
岩盤の揺れと普通の地面の揺れは違うと言われると、そっちを信じたい。私も信じたい。それを信じていたら、安心なんです。だけど、そんな安心はない。
今まで5回、設計基準を超える地震がありました。でも岩盤の揺れが地上の揺れよりも小さかったことは1例もありません。
一番大きな問題は南海トラフです。予測されているのはマグニチュード9です。トルコの地震はマグニチュード7.8です。9はマグニチュード7.8の64倍。トルコの地震では、国境から50キロ以上離れたシリアのアレッポポという古代遺跡で有名な町がありますが、それでも大被害をもたらした。
四国電力は「マグニチュード9が直下できても181ガル、震度5しかきません、窓ガラスを割れて落ちる程度です」と言っています。
これが、規制委員会を通っているんです。5年も6年もの長い間、審議して、「よかろう」ということになったと思うでしょう。やっていません。では少なくとも数か月は審議したと思うでしょう。やっていません。数週間は審議していると思うでしょう。やっていません。数日間はやっていると思うでしょう。やっていません。数時間ですか。違います。審議した時間は18秒です。
それで通ってしまう。これが原子力規制委員会の審査なんです。
この実態は裁判で明らかになったんです。これで広島高裁が原発を止めなければ、裁判所は絶望的です。3月24日に决定が出ます。

■原発さ訴訟で何が争われているのか

原発訴訟は大きく分ける、原発の差し止め訴訟と原発の損害賠償に二つになります。
原発差し止め訴訟の本質は簡単です。原発訴訟で何が争われているでしょうか。「強い地震に襲われたときに原発が耐えられるかどうか」を争っていると、普通は考えますね。
だけど、原発訴訟はそうではない。「強い地震に耐えられない」ことでは争いはないのです。
電力会社は、「原発敷地に限っては強い地震はきませんから安心してください」と言っているんです。「だから、安心です」と。それを信用するか、しないかなんです。
私は1年半かけて判決を出しましたが、雑な判決だと思われています。そういう先入観が働いている。でも、私は本質を見抜いていましたから、一瞬で分かりましたよ。
電力会社の言い分、信用できますかーー原発訴訟の本質はそれだけです。

■損害賠償訴訟で異なる判決が出た理由
次の原発の損害賠償。去年6月、7月に続けざまに重要な判決が出ました。
6月は最高裁で国家賠償を否定する判決でした。7月には東京地裁が東電の旧経営陣に13兆円の損害賠償を会社に払えという命令を出しました。株主が、会社に損害を与えたとして旧経営陣を訴えた裁判です。
結論は正反対ですが、争点は極めて似ています。「津波が来る」と政府機関が予測した。それを信用して津波対策をとったかどうかです。
国家賠償の方は経済産業大臣がその措置を取るべきかどうか、東電の13兆円のほうは取締役が津波対策をとるべきかどうかが争われました。
最高裁は国家の責任を認めなかった。しかしひと月後の東京地裁は最高裁に並ばなかった。ひと月あれば判決は書き直せるけれど、そうしなかった。
株主の訴えを認めた理由は、判決文にありますが、きわめて簡単です。
「原発事故は一地方のみならず、我が国の崩壊を招きかねない」と書いてあります。
「我が国の崩壊を招きかねないような施設を管理する者は重い責任を負う」。たったこれだけの常識です。
原発の本質が分かっていれば正しい結論が出て、分かっていなければ、間違った結論になります。

■原発にコスト論を持ち出してはいけない

岸田さんは何を考えているんでしょう。頭がクラクラしてきますね。ウクライナにロシアが攻めてきたから、危ないから敵基地攻撃能力を持たなきゃならないし、天然ガスや石油代が上がったから、原発も40年までだったのを60年にして、しかも新規建設もやりましょうと言っています。何なんですか。
原発にコスト論を持ち出してはいけないんです。
電気代の高い低いの問題と、人の命を比べるな、比べてはいけない。でも、あえて比べてみましょう。東京電力の年間売上高は約5兆円、利益率は約5%だから、約2500億円。一方で、損害額は最も少なく見積もって、25兆円。81兆円という説もあります。ひとつの事故で100年分の利益を飛ばしてしまった。
もし東日本壊滅ということになっていたら、全ての大企業の100年分の利益を飛ばすんです。コスト論を言うことがおかしい。

■老朽化した原発を使ってはいけない理由

古い原発をなぜ動かしたいのか。古い工場や古い自動車は、古くなっても修理して使い続けることができます。でも、原発だけはそれが許されない。
老朽化した原発は老朽化した飛行機に等しいんです。自動車で燃料漏れが起きたら、エンジンを止めてJAFを呼べばいい。でも、飛行機で燃料漏れを起こしたら、どうしますか。止めるわけにはいきません。何としてでも近くの飛行場まで行って、そこで緊急着陸するしかない。
その間に、次々とトラブルが起きるんです。たとえば飛行場の近くまで来て、降りようとした途端に高度計が壊れる。何とか目測で着陸しようとしたら、車輪が出ない。こういう想定外のことが次々に起こるのが、老朽化するということなんです。
だから、老朽化した原発は危なくて使えない。これが40年ルールを定めた根本的な理由です。この根本的な理由は少しも変わっていません。
岸田さんは当たり前のことが分からない。ウクライナの戦争では、石油や天然ガスが上がったことよりも重要なことは、ロシアがザポリージャ原発を攻撃したことです。いえ、攻撃しなかったんです。「明け渡せ」と言っただけで、ウクライナは明け渡した。
なぜ無抵抗に明け渡したのか。抵抗したら、どこかに当てられる。そうしたら大変なことになると分かっていた。従業員も逃げ出したくても逃げない。なぜなら自分らが職場放棄すると原子炉が管理できなくなり、暴走する可能性があるからです。だから無抵抗に明け渡さざるをえなかった。

■原発は自国に向けられた核兵器だ

ロシアはウクライナをいずれ自分のものにしようとしている。だから、原則として、ウクライナの領土を汚すようなことはしない。
でも、日本の仮想敵国やテロリストはどうでしょう。
日本の自称・保守政治家は、戦争に反対して平和を叫ぶ人たちのことを「お花畑」だと言いますが、本当のお花畑は保守政治家のほうですよ。その人たちは、「仮想敵国やテロリストは、我が国の原発を攻撃することはない」と、テロリストたちに強い信頼感を持っているようです。【笑い】そうでなきゃ、説明つかないでしょう。
東京都知事だった猪瀬直樹さんが、『昭和16年の敗戦』という本を書いています。
太平洋戦争が始まる前、若手の極めて優秀な人材を各方面から集め、アメリカと戦争をしたらどうなるかをシミュレーションしたんです。答えは「必敗」――必ず負けます、でした。それでも日本はあの戦争へ突き進んでしまった。
原発を50何基も海岸沿いに並べたとたん、我が国は戦争遂行能力がなくなったんです。
なくなっているのに、基地攻撃能力OKですよなんて滑稽ですよ。頭がクラクラしてきます。
この映画の中で、弁護士の河合さんが「原発は自国に向けられた核兵器だ」と言っています。その通りなんです。それを取り除くのが防衛の第一歩です。
その防衛の第一歩を踏み出すのには、膨大な防衛費も難しい外交交渉も不要です。何もいらない。この豊かな国土を将来世代に受け継いでいこうという、本当の保守の精神があれば、簡単に踏み出せる道です。

■原発の問題を脇に置く防衛議論も防災議論は空理空論

先日、南海トラフが起きたらどうなるかを描いたテレビ番組がありました。でも、伊方原発の話が、見事に、一言も出てきませんでした。考えたくないんでしょうね。「原子力規制委員会がちゃんとやっているから大丈夫です」と思っているんでしょう。
だけど、規制委員会の実態は、18秒で通している、ですよ。
だから、原発の問題を議論の中心に据えないといけない。原発の問題を脇に置いてする防衛議論も防災議論も、常に空理空論です。本当に滑稽です。
原発を導入した政治家は、今生きていれば、100歳を超える、田中角栄さんとか中曽根康弘さんの世代です。そういう世代の人たちよりも、3.11を経験した我々の責任のほうがはるかに重たい。その理由は3つあります。
ひとつ目は、「死の灰」、使用済み核燃料の問題です。昔の人は、もんじゅなんかを利用してリサイクルすることで、そんなに量を増やさずに何とかなると思っていた。永久エネルギー論という夢物語を描いていたんです。だけど、この40年の間にそういうことは全くできないことが明らかになっています。
2つ目。昔の人は原発事故は滅多に起きないし、起きても被害の範囲は30キロ圏内だと思っていました。だけど、福島原発事故によって、原発は停電しても駄目、断水しても駄目、被害の範囲は半径250キロ圏内に及ぶと分かったからです。
3つ目。なぜ原発の耐震性が低いということを裁判で問題にしないできたか。それは、映画にも出てきましたが、地震大国でありながら、地震観測網がなかったんです。神戸の震災のとき、神戸には地震計は1ヶ所しかなかった。今は10何か所あります。その地震計が900何10ガルを示した。今だったら、低すぎるんじゃないかと思うんですが、当時の地震学者は高いと言って驚いていました。
昔の地震学では重力加速度980ガルを超える地震はないと思われていました。震度7はだいたい400ガル見当だろうから、それを基準にして原発を作ってしまった。昔の人も耐震性なんかどうでもいいと思って原発を作っていたのではなく、震度7だった関東大震災震に耐えられるものにしようと思って作っていたんです。
だけど、2000年以降、何千か所に地震計を置いて科学的に観測したら初めて、日本では1000ガル、2000ガルを超える地震がいくらでも来ることが分かったんです。
その4分の1の過小評価で原発を作ってしまったことがはっきりしたんです。このことをほとんどの裁判官は知りません。ここにいる皆さんだけが知っている、というか、知ってしまったんです。
この3つを知ってしまった私たちのほうが、責任は重いのです。

最後に、『私が原発を止めた』という本の最後だけを、読みます。これ、すごくいい本です。【笑い】
https://www.junposha.com/book/b561325.html
〈自分の責任が分かっている人は、分かっていない人より、遥かに幸せだと思います。私は、自分の責任がどこにあるか分かっていて、その責任を果たせた幸せな裁判官生活を送ることができたと思っていますが、それで自分の責任が終わったとは思っていません。
「無知は罪、無口はもっと罪」という言葉があります。裁判官が原発の差止め訴訟を担当しながら、原発の危険性を知らないことの罪は重いと思います。そして、その危険性を知ったのにそれを告げないことは、さらに重い罪になると思います。
私は、原発の本当の危険性を知ってしまった以上、それを皆さんにお伝えするのは自分の責任だと思っています。
そして、この本を読んでしまった皆さんにも責任が生じます。自ら考えて自分ができることを実行していただきたいのです。原発に対して中立的であったり、原発のことをよく知らなかった人の中には、この本を読んでショックを受けられた方もいると思います。
でも原発のことを知らなかった方が良かったとは思わないでください。少なくとも原子力行政においては、「民は由らしむべし,知らしむべからず」は政府の一貫した方針です。ですから、私たちは原発のことを知ることから始めなければなりません。知ることによって初めて考えることができ、考えることによって初めて道を選択することができるのだと思います。
最後に、キング牧師の言葉
「究極の悲劇は悪人の圧政や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。結局、我々は敵の言葉ではなく、友人の沈黙を覚えているものなのだ。問題に対して沈黙を決め込むようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。」

以上です。

【拍手】
樋口さんのお話は、話すのが苦手と謙遜されてましたが、一言一言が、ずっしりと、心にしみるものでした。
会場は、時に笑いに包まれましたが、針が落ちた音が聞こえるくらい、緊迫した時間が流れました。

【ここから、質問コーナです。】
会場の方1
いままで原発にOKを出してきた裁判官は、どうしてOKを出したんだとお思いですか。

樋口
2つ理由があります。裁判官としての能力の問題と、弁護士側の能力の問題。この2つがあると思います。弁護士さんの方から説明しますと、弁護士さんは、耐震性が高いのか低いのかという肝心のことを論点にしていないんです。訴訟の場は、普通に考えることを論じないんです。なぜかというと、そういう裁判例がなかったからです。
なぜそういう裁判例がなかったか。耐震性を議論するためには観測記録が必要ですが、2000年以前は、地震観測記録がなかったんです。だから耐震性が高いのか低いのかは議論の対象にならなかった。何が議論の対象になったかというと、耐震設計基準を導くにあたっての計算式の、ここがおかしいとか、あそこが違うと言い合うしかなかった。
昔の弁護士さんがそれを争点にしたのはよく分りますが、今や20年分とはいえ、地震観測記録が貯まっているんだから、それに基づいて耐震性が高いか低いかを議論すべきなんです。だけど、その議論がなかなかできない。なぜできないかというと、先例主義だからです。
前の裁判例を一生懸命探し、耐震性が高いのか低いのかを議論している例がないから、議論の対象に乗せない。それを初めて議論の対象に乗せたのは伊方原発の裁判です。
あとは裁判官の能力、と言ったらちょっと言い過ぎで、裁判官の姿勢です。
弁護士さんの言うことを素直に受け止めて、弁護士さんが言うことが本件訴訟の争点だと思ってしまう裁判官が圧倒的に多い。だけどそうじゃない。本当の争点は何か、本当に当事者が言うべきことは何か、この訴訟の実態は何かということを、裁判官が考えて結論を出すのが、本来の裁判官のあるべき姿勢だと思います。
そういうふうに私はやってきた。他の裁判官はそこまでやらない。私は1年半で結論を出しましたが、ほとんどの訴訟は10年もやっています。その間に、恐ろしい事態が起きますよ。
裁判では双方が100通を超える書面を出します。証拠は1000通を超えます。ロッカーが一杯になります。そなに見ることはできないですよ。見ても、流し読みになる。そんなことをやる前に考えればいいわけです。
それをやらない。一生懸命に読む。読んでも分けが分からない。分からなくなると、規制委員会の言う通りならいいだろうという誘惑にかかる。その悪循環の繰り返しでした。

金子
そういう裁判のシステムを変えていけるような可能性はあるんですか。

樋口
システム自体は変わらないです。これは昔からのものです。弁論主義といって、当事者が実証したことに対してしか、裁判はできないんです。でも促すことはできるんです。私は、実証の仕方を変えてくださいと促したことがありますが、徹底的にはできない。中途半端になってしまうんですね。

金子
裁判官によって変わってしまうんですね。

樋口
こういう裁判は普通の裁判ではなく、国策がかかっている。普通の人が関心を持ち、なぜ勝ったのか負けたのか訳が分からないようでは駄目で、国民の誰が見ても「これが争点でしょう」ということが、裁判官の判断の対象となって、こういう理由でこういう結論が出たんだなと分かるような裁判をしないと駄目だと思います。

会場の方2
先週、飯田哲也さんが「エネルギーとジェンダー」という講演をして、エネルギーとか原発にかかわる権威主義について話されていました。たとえば、規制委員会が安全と言っているから安全であるとか、コストは安いと電力会社が言っているから多少のリスクがあってもいいとか、普通に考えれば通らない論理が、まかり通る背景は何なのか。「男なら危ないものでも手なずけろ」みたいな、そういう思考があるのでしょうか。
【笑い】

樋口
すごい難しい問題ですね。考えたことがないです。
ようするに、普通の人がどう思うかという話なんですよ。
普通の人は、国とか電力会社が多くのウソを並べるとは思っていないんです。普通、あることとないことを織り交ぜることはあるかもしれませんが、原発はウソだけです。
たとえば、「原発は岩盤の上に立っています」と言っていますが、たしかに半分は岩盤の上ですが、半分はそうではない。「原発は安定電源である」と言いますが、安定しすぎるんです。昼も夜も夜中も出し続ける。いったん地震が起きたら、壊れるような地震ではなくても、念のために止める。止めた後に再稼働するのは大変です。だからある意味、安定しすぎで、ある意味不安定。いまは「環境にいい」とか言い出してもいます。
国策である以上は、こういうウソを大量に継続的に流す。だから、それらのウソが全部ウソだとは普通の人は思わない。そういうことだと思います。

【ここで、時間となりました。
最後に、会場に来ていた、監督の小原浩靖さん、元総理大臣・菅直人さんからの一言もありました。】

小原浩靖
映画のパンフレットを販売しています。よろしくお願いします。映画に出ていた樋口理論のグラフが載っています。お友だちで、原発のことがよく分からない方がいたら、これを見せればすぐに理解してくれます。
あと自然エネルギーのことも載っています。農業の方の話が短時間で弱めます。
パンフレットは800円です。全国で上映会を展開しています。

菅直人
本当にいい話をありがとうございました。映画を拝見し、お話を聞いて、12年前のことがまざまざと蘇りました。
結論だけで言うと、あの事故は、よくあそこで止まってくれたというのが、実感です。いろいろな偶然がありました。そういうものが、ひとつでもなかったら、まさに半径250キロ圏内に人々が住めない状況になっていた可能性もあったんです。
もちろん関係者の努力もあったんですが、私は、助かったのは「神のご加護」だったと思っています。あまり政治家が言うべきことではないかもしれませんが、それが実感です。
裁判長の話を聞いて、あらためて、そのことを肝に銘じて、今後も脱原発に向けて取り組んでいきたいと思いました。

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