武蔵野政治塾コラム『劇団「椿組」』
武蔵野政治塾 事務局長
橘 民義
劇団「椿組」の「潜水艦とクジラ」を見に行ってきた。
もう何年にもなるが、つまらない生活をしているのだろうと自分で感じるのは、何かを楽しみに待つということが少ない。次のイベントや会議、ちょいとした勉強や締め切り、いつも何かが目の前にあり、その消化と終了に向かってもがいている。それは残念な生活なのだと反省するばかりだが、おっとどっこい今回の新宿雑遊(劇場)での椿組の上演は子供のようにその日を待っていた。
椿組の主宰でもある外波山文明(とばやま ぶんめい)さんは時々お邪魔する新宿ゴールデン街にある「クラクラ」のオーナーでもあり、そのクラクラの名前は坂口安吾の奥さんが銀座で開いていた店の名前を拝借したらしいが、店は多くの劇団員や作家などが好んで行きつけとした。
「潜水艦とクジラ」は野坂昭如さんの原作で、そのことが私を楽しみに待たせた理由でもある。
野坂さんはもう亡くなって7年になるが、私は学生の時に追っかけをしていて、歌手野坂昭如のコンサートに潜り込み、また参議院選挙出馬の時は中野にあった選挙事務所にボランティアに飛び込んだ覚えもある。
「潜水艦とクジラと」は野坂さんの戦争童話集の中の作品で、今回の椿組の上演はそれ以外の短編も重ね合わせたような工夫を施した創作で、戦争の悲惨さと非人間的な仕打ちをペーソスとユーモアを混ぜ合わせながら少しずつ深く展開して行き、一瞬も見逃すことができない緊張感を発している。
ある場面では、家族が女性まで次々と徴兵されて行く。とうとう柴犬シェリーが供出されたときには、豆柴と暮らしている私は我慢できず声を出しそうになった。
戦争くらい人間を、動物も自然も、すべてを痛めつけることはないと皆が知っているはずだ。それを誰もが言い続けて欲しいし、歌い続けてほしいし、書き続けてほしい。椿組には上演し続けてほしい。
しかし今の日本。
あの時あんなひどいことがあったのだから、もう日本は戦争など絶対にしないだろうと勝手に安心していても良いのだろうか。どこか絶対と言い切れないような空気が上空に近寄ってないのだろうか。その空気はだんだんと生活圏に侵入してきて、いつの間にか私たちを包んでしまわないだろうか。
野坂昭如の「火垂るの墓」をいつも思い出す。