武蔵野政治塾 2月18日
武蔵野政治塾が、昨年(2022年)11月以来、3か月ぶりに武蔵野市で開催されました。
テーマは「19世紀的世界の再来? いま平和を考える」。
講師は、荒巻豊志氏と三牧聖子氏。
昨年末からの岸田政権の急速な軍拡路線への転換を受けて、「安保3文書の閣議決定の意味 日本外交がとるべき道とは?」とタイムリーな副題が付けられました。
会場は、東京都武蔵野市の武蔵堺駅近くにある、市立スイングホール内のレインボーサロン。
東京新聞に記事が出たこともあり、約100名が参加しました。
事務局が当日の様子をまとめました。
■日本学術会議改正法案は、学問の自由を脅かす
橘民義・事務局長が、挨拶と武蔵野政治塾の説明をした後、どうしても話したいと、日本学術会議にについて、語りました。
「先日、日本学術会議改革の政府案が出されました。マスコミの扱いは小さかったのですが、これは大きな問題です。2020年、当時の菅(義偉)総理は学術会議の会員候補6名の任命を拒否しましたが、これは絶対にしてはならないことです。
憲法23条に「学問の自由は保障する」と書いてあるんです。政治家が、「あなたはダメ」と言えるようになったら、学問の独立はなくなってしまう。
政治家が「あなたは軍事研究をしなさい」と言えるようになってしまう。こんなことは絶対やってはいけない。こんなことは世界のアカデミーで通用しません。日本だけが、恥ずかしい思いをすることになってしまう。
この改正案が国会で通ると、ひどいことになります。通してはいけないと思っています。
今日のテーマにも関連すると思うので、どうしても言っておきたいと思い、話をさせてもらいました。
では、お二人の講師の話を聞いていただき、最後に、安保三文書は正しいのか、軍拡のための増税をしていいのか、考えていただきたいと思います。」
■ウクライナへの軍事侵攻から1年
――戦争はなぜ起きるのかを学びたい
続いて、今回のコーディネーター、武蔵野政治塾運営委員の松下玲子さん(武蔵野市長)が企画の意図と、講師の紹介をしました。
「今回の『いま、平和を考える』を企画した背景をお話しします。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻から間もなく1年になります。
始まった戦争が一向に終わることがない。いったん戦争が始まると、終わること、停戦にすることがとても困難なのだということを、改めて思い知っています。いまこの地球上で、人と人とが殺し合いをしていることに大変心が痛みます。
なぜ戦争が起きてしまうのか。歴史から学びたいと思います。
私自身は、大学受験で世界史を選びましたが、勉強が足りない、もう一度学びたいと思っています。
講師の荒巻豊志さんは大手予備校の世界史の講師です。荒巻さんからは、歴史的背景から戦争を教えていただきたいと思います。
【荒巻さんの『荒巻の世界史の新見取り図』を掲げる】
私は、これを読んで、勉強しなおそうと思っています。
もうひとりの三牧聖子さんは同志社大学准教授で、アメリカ外交史がご専門です。先日、文京区で開催された沖縄県主催、玉城知事も出られたシンポジウムでも発言されていました。私もそのシンポジウムを聞いていたのですが、とても鋭く明快に発言されていました。」
■戦争や平和を語るための基礎知識
【いよいよ、荒巻豊志さんの登場です。武蔵野政治塾では初めての、スライドを使用しての講演となり、会場の雰囲気は、一気に学習モードとなります】
■絶対的平和主義のキリスト教が、戦争を認めるまで
戦争が違法化されるまでの長い歴史を、お話しします。
「戦争」というものについて、深く考えてきたのは、ヨーロッパ、キリスト教世界です。
イスラム教、仏教にも戦争思想はありますが、ここでは、それは脇に置かせてもらいます。
キリスト教は1世紀に生まれましたが、当時はローマ帝国からひたすら弾圧されていました。その弾圧のなかで、「ひたすら耐えろ」「どんなことがあっても、戦ってはいけない」と考えていました。つまり、
①「いかなる戦争も正しい戦争はない」
「キリスト教的平和主義」、あるいは「絶対的平和主義」
ロシアの文豪トルストイや、アメリカでベトナム戦争時に徴兵を拒否して投獄されたクウェーカー教徒、キング牧師などが、この絶対的平和主義の流れにいます。
インドのガンディーもそうです。「暴力に対して非暴力で対抗」した人たちです。
ところが、4世紀になって、キリスト教に大きな変化が訪れます。キリスト教をいじめていたローマ帝国が、キリスト教を重んじるようになったのです。
そのとき、多くのキリスト教徒は、「このローマ帝国のために、僕らが戦うのはアリかなあ」と考えるようになります。
いろいろ議論をした後に、結論として出たのは、
「戦争は基本的によくない。でも、やらなければならない戦争がある」
という考えでした。
■戦争をする場合の条件
② 正戦論(4世紀から17世紀にかけて)
やむを得ず戦わなければならない戦争(正しい戦争)があるのでは?
これを考えていく中で、13世紀にトマス・アキナス人が、どういう時ならは戦争をやっていいのかという条件付けをしました。
ラテン語を示しますので、ぜひそのまま覚えて帰ってください。
その2条件とは、
Jus in bello ユス・イン・ベロ(正しい戦い方)
区別の原則、比例の原則
まず、「正しい戦争は、戦い方も正しくなければならない」という考えです。
正しい戦い方のひとつは「区別の原則」です。軍人は殺してもいいけど民間人は殺してはいけない。
もうひとつは「比例の原則」。わかりやすく言いますと、テレビドラマで「倍返し」というセリフがありましたが、向こうがひとり殺したら、こっちは5人だというようなのはダメという考えです。
このように、戦い方の側面に焦点を絞ったのが「ユス・イン・ベルト」です。
次が、
Jus ad bellum ユス・アド・ベルム(正しい開戦理由)
正当な権威、正当な理由、正しい意図、最後の手段など
こちらは「何のために戦争をするのか」という、戦争を始めるときの正義についてです。
これは、「この戦争は自分の利益のためではない」と、他人を説得できることが大事だということです。
この考え方は、日本の「(旧)自衛権発動の3要件」にもあてはまっていました。
1 我が国に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したこと
2 この場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと
3 必要最小限度の実力行使にとどまること(比例の原則)
このうち、1つ目の要件が2015年に安倍政権によって変えられましたが、ヨーロッパの正戦論は、いまも我々を縛っているものだと分かります。
この「ユス・アド・ベルム」が言う「正当な権威」とは、具体的には、ヨーロッパではキリスト教のローマ教皇です。
ローマ教皇が「ノー」と言ったら、「間違った戦争」になるので、戦争はできなくなります。ですから、ローマ教皇がずっといれば、戦争を抑制する要素になりえた。ところが、17世紀にヨーロッパは大きな転機を迎えます。
16世紀の宗教改革を経て、「ヨーロッパ・イコール・カトリック世界」が崩れ、いろいろなキリスト教が出てきて、ローマ教皇は唯一の権威という存在ではなくなりました。
づると、ある国が戦争をしたときに、「こういう理由で戦争をした」と言っても、よその国から見たら「それは正義ではない」ということもありえるようになります。
これは「主権国家体制」と呼ばれますが、「主権国家の数だけ正義がある」状況になりました。みなが正義を掲げて戦争をやるようなる。
そうすると、どっちが正しいかわからなりました。ここから出てきた考え方が、「無差別戦争観」です。非常に重要です。
■正しい戦い方で、戦争をする
③無差別戦争観(18~19世紀)
Jus ad bellumは問わない。正義は主権国家の数だけある。
Jus in belloについてのみ考える(jus ad bellumの後景化)
正義は主権国家の数だけあるのだから、戦争はやりたいだけやればいい、という考え方です。「ユス・アド・ベルム」(正しい開戦理由)は問わない、考えるだけムダだ。ただ、「正しい戦い方」だけは忘れてはいけない、「ユス・イン・ベロ」はしっかり守ろうということです。
「無差別」という言葉だけ聞くと、ひどいイメージがありますが、ある意味では「戦争をやらない論理」になります。無差別戦争観は、無制限に戦争を礼賛する思想ではないんです。
戦争を好きなだけやっていいのですが、何のためにやるのかとなると、「国益を追求する」ためです。ということは、冷静な計算をして、戦争をやることで国益が失われるのであれば、「やらないほうがいい」となる。
国益追求が第一目的であるからこそ勝てない戦争はしない(戦争抑制)
ということです。
無差別戦争観のナポレオンの時代、19世紀初頭に、クラウゼヴィツが書いた『戦争論』に、「戦争は外交の延長」という有名な言葉があります。
「戦争をやるにはリスクがかかる。確実に勝てるならいいが、負けるのであれば、やらないほうがいい」という考えです。
なるべく外交で勝負をつけたいとなり、その「外交をうまく機能させるためには軍事力があったほうがいい」となります。
そこで、次に出てくるのが、「自分の国だけで守れないのなら、同盟を組もう」という考えです。
ドイツのビスマルク外交が、まさにそれに当たります。
戦争を抑止するための集団防衛(のちの集団的自衛権)のあり方が一般的となる
19世紀は無差別戦争観の時代です。なので、1815年にナポレオン戦争が終わると、1914年の第1次世界大戦までの100年間、普仏戦争など短い戦争はいくつかありましたが、ヨーロッパでの大きな戦争はクリミア戦争(1854~56)だけでした。せ
ところが、第一次世界大戦が起きると、また、変わります。
■第一次世界大戦後、
「自衛のための戦争」という概念が生れる
第一次世界大戦は誰もが1か月で終わると思っていたら、足掛け5年にわたる大戦争となりました。
ドイツは「無制限潜水艦作戦」を始めました。民間の船でも武器弾薬といった軍事物資を積んでいる場合は撃ち落としてもいい、という作戦です。
これは「区別の原則」、つまり「軍人は殺してもいいが民間人は殺してはいけない」という原則に反します。こうして、「区別の原則」が現実に適応されなくなりました。
第一次世界大戦が終わると、この事態をどうするか考えるようになり、「戦争全否定」の考えが再び出てきます。
そして「戦争は違法」という考えを、世界中が共有するようになりました。
ところが、「違法となる戦争をした国が出てきたら、どうかるのか」という問題が生じます。
「仕方ない、絶対的平和主義で、座して死を待つだけだ」という考えもあります。
ですが、「違法な戦争を起こした国に対して戦う戦争は、自衛のための戦争だから許される」という考えが生まれました。
こうして人類は、「自衛のための戦争」という観念を作り出しました。
しかし、ヒトラーが出て日本も戦争を始め、第二次世界大戦が起きてしまいます。
その第二次世界大戦が終わると、国際連合が作られました。「違法なはずの戦争をやった国が出てきたら、みんなで懲らしめる」のが国際連合です。
日本国憲法前文や第九条はこの考えに基づいています。
しかし現実には国際連合には、違法な戦争を止める手立てはありません。ですが、国連憲章51条には、「国連が、違法な戦争を仕掛けた国に措置をとるのは時間がかかるので、それまでは自衛のための戦争はやっていい」とあります。
その自衛のために一国だけで戦うのが「個別自衛権」、よその国と同名を結ぶのが「集団自衛権」で、どちらも国連憲章は認めています。
これを前提にして、日本の安全保障政策も作られています。
■立ち入り禁止の池で子どもが溺れていたらどうする
いまの世界は、国際法で戦争をすることは違法となっています。
しかし、「法は正しさを体現できているのか」という問題が生じます。体現できているのなら、法を破ってはいけない。だけど、あらゆる法がすべて正しさを体現できていないなら、法を破ることもありだろうという考えもあります。
たとえば、「立ち入り禁止」と書かれた池に、子どもが入ってしまい、溺れているとします。このとき、その子を助けるために立ち入り禁止の池に入ることは、違法なのか。
「助けるためなら禁止でも入らなければ」という考えもあるし、「禁止されているんだから、入ってはいけない」という考えもあります。
こういうことを踏まえて、次の三牧さんの話、ロシアがウクライナに侵攻したことをどう考えるかをお聞きください。
~三牧聖子先生講演編に続く~