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NEW!!【活動報告】第26回「映画『太陽の蓋』アフタートーク(ゲスト:北村有起哉)」

3月11日の吉祥寺・アップリンクでの『太陽の蓋』上映会の3日目は、アフタートークに、主演した北村有起哉さんと、この映画のプロデューサーである、武蔵野政治塾事務局長・橘民義が登壇し、対談が行なわれました。

橘 今日は3.11ですね。今年は2024年ですから、あの大震災と原発事故から13年目を迎えました。今年は3月9日から3日続けて、この場所で『太陽の蓋』を上演させていただきましたが、3日間とも満員となり、本当にありがとうございます。
今日はゲストに、この映画の主演の北村有起哉さんをお招きしています。
【北村有起哉さん、登壇。客席から「待ってました」の声】

北村 今日はご来場ありがとうございました。特別な日に、こうして上映していただいた吉祥寺のアップリンクの映画館にも感謝しております。この余韻に浸っているなか、みなさまと濃いひとときを過ごせたらなと思っております。

■こういうテーマの映画に出るのは度胸がいるけれど

橘 いつも「有起哉」と呼んでいるので、今日もそれていいですね。で、有起哉さん、見たのは久しぶりだったでしょう、どうでしたか。自分が若かったでしょう。

北村 久しぶりに見ました。

橘 私はそれまで映画のプロデューサーなんかしたことがなかったたんです。映画人でもなんでもなかったので。だけど、こういう映画を作ろう、「これだ!」と思って作ったんです。
最初から、主演は北村有起哉だと決めていました。制作側には、北村有起哉を主役に選んでくれることが条件で、あとの人の日程は北村有起哉に合わせてくれと伝えて、作ったんです。そして撮影が始まると、追っかけみたいに、ついていきました。改めて見ると、撮影の苦労話も思い出しますね。

北村 まず、台本を読み、正直、「え、もうこれをやるの?」と思いました。事故を映画にするタイミングとしては、すごく早かったんです。時期的に、まだ腫れ物に触るようなタイミングで、敬遠する人がほとんどだったと思います。だから、僕は、何人もの俳優に断られて、3番目か4番目に、僕が選ばれたんだろうと妄想を抱きました。まあ、被害妄想でしたね。【笑い】
こういう映画は、普通は出るのに勇気がいるんです。人によって考え方はそれぞれなんで、いろんな考えを持つのは自由です。僕も表現に対しては、大げさに言うと、哲学というか考えがありますけれども、それは個人個人、自由です。
でも、こういうテーマの映画に出るのは、なかなか度胸がいると思います。僕は、逆に燃えてくる。そういう意味でも、この映画に出るのは、本当に嬉しかった。主演だということよりも、この心意気に答えなきゃという思いでした。しっかりした映画に参加させてもらい、伝えていかなければという、そういう思いがありました。
よく、「色がつく」という言葉があるじゃないですか。こういう映画に出るのは、こういう人なのね、というような。

橘 そういうのは、まったくなかったんじゃないかな。

北村 あまり大きなことを言いたくないんですけど、この程度で色がつくかっていう話ですよ。【笑い】
僕はいろんなことをやりたいので、これも、そのやりたかったことのひとつという気概というか、そんな思いでした。そういう部分で、見てくれるお客さんもいると思います。
僕は過去にも、たまたま社会派の映画に何本か出ているんです。

橘 新聞記者の役をよくやってるよね。

北村 そうです。新聞記者、よくやってます。多いですね。熊井啓監督の『日本の黒い夏―冤罪』を、ずいぶん若いときにやらせていただいてから、こういう役に縁があるというか、そういうのをやりそうな雰囲気を出しているんでしょうかね。

橘 『日本の黒い夏―冤罪』は松本サリン事件を描いたので、新聞記者の役でしたね。私は北村有起哉といったら今村昌平監督の『カンゾー先生』で知りました。

北村 『カンゾー先生』で映画デビューさせていただきました。それから、いろんなドラマや演劇もやらせていただきましたが、『太陽の蓋』が初の長編映画の主役でした。ひとつの節目というか、とてもありがたい通過点となり、これからさらに頑張らなければと思いました。

■「菅直人」役が、なかなか決まらなかった

橘 初の長編映画での主役ということでしたが、『太陽の蓋』のおかげで、あとがなくってしまうんじゃないかと心配しましたが、そのあと、次々といい役で出るようになりましたね。
そういうわけで、有起哉はすぐに出ると言ってくれたんだけど、「菅直人」役を、誰も受けてくれなかったんです。裏話ですけどね

北村 実在の人物ですから、やりにくいですよね。

橘 実在の総理大臣が実名で出る映画は、日本では珍しいんです。しかも菅直人さんは、まだご存命というか、現職の衆議院議員ですし。実は今日、会場にいらっしゃってるんですよ。

【会場にいらした、菅直人さんが立たれ、場内から拍手】

北村 【びっくりして】こういう冗談はやめてくださいよ。

橘 昨日は菅さんにも登壇いただいて、スピーチしていただいたんです。今日もどうかという話があったんですが、話が全然違う方向に行ってしまうとまずいので、今日も菅さんはいらしてますが、ここには出ないことになりました。

北村 実在の人物を演じるのは大変です。枝野(官房長官)さんも出てきますが、髪型も御本人に寄せて、喋り方も、忠実にしていましたね。確かにあの事故のとき、僕らはテレビに釘付けになって、枝野さんの会見を見ていたわけです。だから演じるにあたり、忠実に、記者会見の雰囲気、句読点まで、完全にコピーしていたと思います。
だから、実在の人を演じるのは大変だなと思います。僕は架空の新聞記者だったので、そういう意味では大丈夫でした。

■忘れられない「原子力 明るい未来のエネルギー」の看板

橘 実はこの映画は130分あったのを、90分に切ったんです。今日のように皆さんと一緒に見て、その後で話もするのをを企画すると、130分だと長いので、コンパクトになった90分版を作ってもらいました。

北村 そうなると、逆にどこをカットしたのか、覚えてないですね。

橘 そんなもんなんです。もともと映画って、たくさん撮ったものをカットして、できるわけですから。

北村 撮影で忘れられないのは、最後の「原子力 明るい未来のエネルギー」という看板のシーンです。【北村さん演じる新聞記者が、事故から4年後の2015年に福島へ取材に行き、「この先 帰宅困難区域」とあるゲートの前に立つ。その向こうには、「原子力 明るい未来のエネルギー」の看板がまだ残っている】
あれはゲリラで撮影しました。いたずらする人などが結構いろいろいたみたいで、防犯カメラがついていて、何かあったらすぐ警察が駆けつけるような、ピリピリしたところでした。そこへ、ハイエースで最少人数で行って、バーっと撮って、「撮った、OK、OK」って、そんな感じで撮りました。
本当に、撮ってよかったです。映画は残りますからね。撮れてよかったです。

橘 私もそこはこだわりました。実はこの映画、その後のシーンがあったんです。回想シーンで、鍋島(北村有起哉)が、妻の麻奈美(中村ゆり)と話す場面でした。でも監督に、福島を最後にしようとお願いして、ああなりました。どっちがよかったかは、分かりません。

北村 でも、すごい印象に残るので、僕はこれで良かったと思います。

■映画人たちは『太陽の蓋』に密かに注目していた

北村 『Fukushima 50』という映画を撮られたカメラマンの方と去年、仕事が一緒だったんですが、あれを撮る前に『太陽の蓋』を参考に見ていたそうです。あの事故を長編で撮った映画の先駆けとして、ちゃんとチェックしてくれていたみたいで、「よく撮ったね」と、ものすごい大御所のカメラマンさんから、わざわざそういうお話をしてもらいました。
やっぱり、同じ映画人として意識をしっかり持っているんだなと、すごく嬉しかったです。

橘 それは初めて聞きました。

北村 今、初めて言いました。【笑い】 これは、去年の話です。すごく嬉しいお話だったんで、これは橘さんにお会いしたら絶対に話そうと思っていて、いま言ったんです。

■日本は「たまたま」助かったと、伝えたい

橘 この映画で、私が一番言いたかったのは、ひとつ間違ったら、福島から半径250キロ、そこには東京も入りますが、その範囲が暮らせなくなるところだったということです。菅総理が、原子力委員会の近藤俊介委員長に「最悪のシナリオ」を考えてくれとお願いしたら出てきた試算の結果、出た数字です。
日本が助かったのは、本当に、「たまたま」なんです。東電の現場の人も頑張ったし、官邸もいろいろやったけれど、結局は、たまたま助かったんです
4号機の水は、たまたまうまく水が流れ込んだわけです。ヘリコプターで上から水が見えるまでは、あるかどうかも分からなかった。水が見えて安心した。しかし、その水を入れ続けなければならない。そこで、中国の企業から「キリン」と呼ばれる長いポンプ車を借りて、入れたんです。中国が貸してくれたんです。そういうことがあって、今の東京や日本があるんです
だから、本当に原発は怖い。ひとつ間違ったら、避難問題どころか、日本中がすっ飛んでしまう。そういうものなんですよと、言いたかったんです。それが、どこまで表現されたかは、分かりませんが、そうやって一生懸命作りました。

北村 僕の妻の役の中村ゆりちゃんが、「日本中に原発があって、どこに引っ越せばいいの」というセリフがありましたが、あれなんかも、ガーンというか、じわーという感じの、すごい重いセリフだなと思いました。
能登で大地震がありましたが、僕は、一昨年、たまたま、珠洲市でのお仕事があって、何日も泊まりました。その宿の家主が、原発に対しての考えをしっかり持っている方で、本棚にいろんな本がありました。
珠洲市に原発を置く話がずいぶん前にあったのですが、地元の方が大反対したので、志賀にできたそうです。
けれど、もし珠洲に原発ができていたら、また大悲劇が起きていたんじゃないかと思って、いろんな意味でゾッとしました。

橘 珠洲市の原発計画は、その地域の人たちが、特に住職さんが中心になって止めたんです。
だから、今回の能登の地震では、志賀原発は止まっていたし、珠洲は作っていなかった。これは、どっちもラッキーでした。
いまになって検証していますが、地震で、道が全部寸断されて、土砂で埋まっていて、通れないんです。避難計画があっても、避難なんてできませんよ。どこへどう避難するんですか。
いま、原発事故の避難計画が全国あちこちで問題になっていますが、避難なんてできないんですよ。

■珠洲市の朗読劇、朝ドラと、大活躍

橘 ところで、珠洲って何の仕事で行ったの? 原発は関係ないでしょう。

北村 珠洲市の地元の皆さんと一緒にお稽古して、珠洲シアターで朗読劇をやったんです。
こんな、素敵な場所があるんだと思って、またプライベートでも行きたいなと思っていたんです。

橘 シェイクスピアかなんかでしたっけ。

北村 『夏の夜の夢』をもじった『珠洲の夜の夢』というオリジナルの作品でした。とてもいい思い出になりました。

https://www.suzu-stm.jp/event001.html

橘 最近、すごいね。今年は朝ドラにも出るんでしょう。【2024年10月からの橋本環奈主演『おむすび』で、ヒロインの父親役で出演予定】

北村 いや別に、そういう話をしにきたわけでは。【笑い】

橘 奥さんの高野志穂さんも、朝ドラからスタートしたんでしたよね【2002年の『さくら』でに出演】
あと最近は、一緒にAmazonプライムのCMに出たり。

北村 あ、やってます。なんか、ここにいるのが恥ずかしくなってきました。【笑い】

橘 『たそがれ優作』(BSテレビ東京)にも出てましたね。

北村 もう、やめてください。【笑い】たそがれ優作で、たそがれちゃうじゃないですか。【会場、笑いに包まれる】
はい、いろいろやらせていただいています。
それで、この映画に関しては、僕にとって本当に思い入れがあります。今回お誘いいただいて、まさに今日というその日にお呼びいただいて本当に感謝してます

橘 有起哉さん、無理やりに話を『太陽の蓋』に戻しましたね。

■フランスでは大反響

橘 この映画は2015年の秋から暮れに撮影して、2016年の夏に公開しました。その後、世界中10カ国ぐらいをまわっています。フランスでは、180の映画館で上映され、一回、菅(直人)さんにもフランスに来てもらいました。「菅直人、来る」というので、かなり大きな映画館が満員になりました。当日、映画館へ行ったら、外にズラーと人が並んでいました。「北村有起哉、来る」だったら、もっと来たかな。【笑い】

北村 いえいえ。僕じゃ来ないです。でも、ものすごく海外の方は、興味があるんですね。

橘 そうなんですよ。特にフランスは原子力大国で、核兵器を持っているし、原発もいまだにやめる気はまったくないです。隣のドイツとは真反対です。そういう国だから逆に、反対運動も大きいので、この映画には非常に興味があったのでしょうね。夜、菅さんと会場の人とディスカッションをしたんですが、終わらなくて、夜中の12時を過ぎたことがあります。

北村 それは想像できます。彼らにとって、この映画はフィクションなの?と目を見張る感じで、ご覧になったんじゃないですか。本当に日本でこんなことがあったの?と。

橘 知りたいんです。日本で、福島で何があったのか。いろんな情報がバラバラと入ってくるけど、それをまとめて劇映画にしたものがあるというので、たくさんの方が見てくれたんだと思います。

北村 映画って、国内ではあまり受けなくても、海外で賞を取って凱旋して、なんかすごいらしいよとなって、お客さんが入る、そういう現象がよくありますよね。
だから、取り上げるテーマさえしっかりあれば、世界共通の感動、共感を、驚きなど、いろいろ共有できると思います。

橘 日本国内では、500か所ぐらいで自主上映会をやっていただきました。今日は映画館での上映なので、皆さんには会費を払っていただきましたが、実はYouTubeで無料公開しています。
今日は、あの映画の上映料は別として、北村有起哉が有料だったということですが。【笑い】

『太陽の蓋』130分版・日本語字幕付はこちら

『太陽の蓋』90分版・日本語字幕付はこちら https://www.youtube.com/watch?v=sOxA2jy3P4o

北村 やっぱり映画なので、映画館で見るほうがいいですよね。地鳴りの音とかリアルでいやなんですけどね。やあの当時を思い出す映画じゃないですか。もちろん、思い出したくない方もいるでしょうから、見ないという選択肢がありますが、忘れてはいけないと思う方は、YouTubeでもいいんですけど、見ていただきたいですね。

橘 YouTubeでは、ずいぶんとたくさんの人が見てくださって喜んでるんですが、それでも、こうやって会場に来てくださるのが、嬉しいじゃないですか。

■「東電の撤退を認めるべきだったのか」の質問への答え

【続いて、質問コーナーになりました。】
橘 奥さんと仲良くしているの?という質問でもいいですけど【笑い】、北村有起哉さんになにかききたいことはありませんか。

会場の方 北村さん(演じる鍋島記者)は、映画の中で、福山さん(官房副長官)に、インタビューするシーンで、逆に「撤退を認めるべきだったと思いますか?」と質問されました。映画では答えはなかったんですが、そのとき、頭の中に浮かんでいた想いというのはどんなものだったんでしょう。

北村 僕(映画の鍋島記者)の状況としては、どうしようもなかったということも共有して取材をしていたと思うんですよ。あのとき、根掘り葉掘り言ってコメントを求め、「それを言ったらおしまいですけどね」というところまでいき、そのせめぎ合いみたいな、微妙なところであったと思います。
その後の袴田吉彦くん(坂下和彦官房副長官秘書官)とのやり取りも、言葉遊びをしてましたけども、本当に誰にも止められなかった怪物だったというのを、改めて見てる側に伝わってもらえればという、そういう脚本の意図があったと思います。

会場の方 結局のところ、あれ(原発)を作ってしまったってことが、一番の問題だということが伝わってきたのかなと思います。

北村 こんなとんでもないものが、日本中にたくさんあるんだっていうことを、僕らの日本の歴史で言うと、3.11で初めて痛感したわけです。
そして、郭智博くんが演じた福島の職員が「まだ全然、収束していない」と言っていましたけど、まだ何も終わってないんだ、今も続いているってことです。

橘 今日現在も続いています。

■原発事故を「忘れた」のではなく「知らない」のでは

会場の方 橘さんにお尋ねしたいんですけど、この政治塾ではいつもふざけたことを言っていらして、今日もそうなんですけど、今日の映画は、その人が作ったと思えないんですが。【笑い】
こんなすごい思いを持っていらっしゃるんだって、思いました。
さっき北村さんが、「フランスの方はこれをフィクションだと思うんじゃないか」とおっしゃっていましたが、実は日本も同じで、実際に起こっていたのに、もう今の日本人は忘れてしまってるんじゃないかと、大きな絶望感を感じます。橘さんはどうお思いだったのか、そして、そうしないために、橘さん、もうちょっと真面目にやったらいいのではないか。ふざけないとやってられないのかもしれませんけど。

橘 なんか、叱られたのか褒められたのか、よくわかりませんけれど。そうですか、ふざけていると聞こえましたか。私の話は、「かたくて一生懸命すぎて面白くない」とよく言われるので、今日は相手が有起哉さんだったから、ふざけてもいいかなと思って話していたんですけれど。
それはちょっと置いといて、私がこの映画を作った意図は、さっき言った、今回の福島の原発事故はここまでおかしかった、こんなにやばかったんだよということ、これを一番言いたかった。
さっき言われたように、これは残しておかなければいけない。本も残りますが、映画が一番いいじゃないですか。
だから、世界中の人に見てもらえるように、英語、中国語、ドイツ語、フランス語、ポーランド語の版も作っています。それだけ、残したいという気持ちがあります。
ある程度、映画館で上映したら、どうせ儲からない映画なので、あとは無料公開でいいと思って、YouTubeでも公開し、いま、34万人ぐらいに見てもらっています。そうやって、きちっと残したいというのが、私の思いです。
もうひとつ、今日は武蔵野政治塾ですので、あえて言わせていただければ、政治状況です。原発事故のとき、民主党に政権があったものだから、民主党が悪かった、菅内閣がヘタをしたと、自民党がそう言いふらしたんです。特に、あえて言えば安倍晋三さんがメルマガでそう書いて、それを新聞社が書いて世論を形成していき、それで、菅(直人)さんが追い込まれたわけです。
私は、やっぱり「そこは違うだろう」と思って、一生懸命に検証して、いろいろ聞いて、探って、作ったのが、この映画でもあるわけです。そういう段取りがありました。私は、めっちゃ真面目です。

北村 でも、今お話を聞いていて、「忘れてしまった」のならまだマシで、ひょっとしたら「知らない人」も、すごくいるんじゃないかと思います。こんなことがあったと知らない人が多くて、知っている人が何割かいて、その何割かが忘れていった。とても怖いなと感じます。

橘 たしかに、上映会を東京や関東でやると、皆さん、すごく見てくれるし、ご意見もいただいたりするんですが、西へ行くと反応が薄いです。実感が少ないようですね。いま、有起哉さんが言ったように、「忘れる」前に、「知らない」人がたくさんいる。
福島で何かあったぐらいは分かるんです。津波でたくさん亡くなったとか、原発事故があったぐらいは分かるけど、それ以上は知らない、忘れてしまった。事故なんかなかったと思っている日本人も、たくさんいらっしゃると思いますね。
本当に残念なことです。もう1回起きてからでは遅い。だから私は、こうやって10年たとうと、何年たとうと、この映画の上映会をやり続けようと思っています。【場内、拍手】

■原発なしでも、やっていける

北村 「たまたま」なんですよね。たまたま助かった、たまたま珠洲には(原発は)なかった。けれど、そういう「たまたま」が、ずっと続くわけではないと思うので、どうしてそんな綱渡りをずっと続けなければならないんだろうと、思います。子供の世代、若い世代のこと、先のことを考えると、偉そうなことを言ってしまいますが、怖いですよね。

橘 本当は、原発なしでも、自然エネルギーで全部やれるんです。それは、いろんな人が証明しているんですけど、政府の方針は原発の方へ行く。自然エネルギーへ舵を切らない。舵を切れば、一気に行けるんです。
太陽光発電なんて、設置する値段は、10年前の10分の1ですからね。風力も10分の1、バッテリーだって、値段が3分の1から4分の1ぐらいになりました。
原発を再稼働するのが、今は安いかもしれませんが、トータルで考えたら、高くなります。だって当たり前じゃないですか、太陽はタダ、風もタダです。うまくやれば、そっちのほうが安いに決まっています。
そういうことを、私はずっと言っています。それを一番考えなければならないと思っています。でも、それを映画で伝えるのは難しいので、この『太陽の蓋』で、がんばっていこうと思っています。
じゃ、最後に有起哉さん、しめてください。

北村 え、いまので十分にしまったじゃないですか。
でも、まあ、本当に本日はありがとうございました。ちょっとずつでもいいので、感じたことを、友だちとか家族とか親子で話してみてください。そういう本当に地道なことを、コツコツとやっていくしかないと思います。
震災と原発、この2つに対して、しっかり考えていかなければいけない。それを考える輪が、少しずつでも広がってほしいと思っています。みなさんも、「『太陽の蓋』という映画があって、YouTubeでやっているよ」と宣伝していただけたら幸いです。

橘 ついでに、「北村有起哉が主演だ」と言ってください。どうも皆さん、ありがとうございました。

【武蔵野政治塾始まって以来の「笑い」に満ちた回となりましたが、話された内容は、けっこう深くシリアスでした。
北村有起哉さん、どうもありがとうございました。】

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