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【活動報告】第3回「平和・市民自治と自治基本条例」

第3回は「平和・市民自治と自治基本条例」をテーマに、逢坂誠二衆議院議員を講師として招き、松下玲子・武蔵野市長がゲストとして、逢坂さんと議論する形式で行なわれました。

これまでの2回は時事的に注目されているテーマでしたが、今回はどちらかというと地味なテーマ。にもかかわらず、またも満席となり、質疑応答も活発でした。

今回は、橘民義事務局長が当日を振り返ります。

地味なテーマなのに、満席となり、ありがとうございました。

逢坂さんも、こんなテーマで平日の夜にこんなに人が集まるなんて理解できませんと、びっくりしていました。

今回、逢坂さんを呼んで、自治基本条例について話してもらおうと思ったのは、武蔵野政治塾は国政だけを論じる場ではないということを、早い段階で打ち出したかったからです。

武蔵野市は、2020年に「武蔵野市自治基本条例」と「議会基本条例」を同時に施行し、その流れで、昨年は、住民投票条例案が提案されましたが、全国的にも注目されて反対運動が盛り上がり、議会で否決されました。

住民投票制度について冷静に議論してみたいと思ったのですが、その前に、自治基本条例についても、その理念などがよくわかっていないと気づいたので、この自治基本条例の生みの親とも言うべき、ニセコ町長だった逢坂誠二さんを招こうと思ったわけです。

 

今回は、冒頭の30分ほどを、逢坂さんの講演とし、後半で松下さんと対話していただく形をとりました。

逢坂さんのお話は、実際に町長として取り組んだ経験と実績にもとづくものなので、何よりも現場的で、なおかつ土台の理念がしっかりしており、地方自治がいかに重要かを改めて認識できました。

 

以下、逢坂さんの講演内容の前に逢坂さんの経歴を簡単に紹介します。

 

1959年に、北海道ニセコで食品小売店の長男として生まれる。北海道大学薬学部に入学し、研究者を目指していたが、大学4年夏に父親が病気になり断念。

1983年に転勤のない仕事として町役場の試験を受け入庁。

1994年、ニセコ町長選挙に出馬し、当時全国最年少の35 歳で初当選。

1998年、情報公開条例を制定、同年10月、無投票で再選。

2000年12月、全国で初めてとなる自治基本条例(まちづくり基本条例)を制定。

独創的な発想で地方自治の旗手として新風を吹き込み、2004年に内閣府が行なった調査でニセコ町は「参考にしたい自治体」の全国1位に輝く。

2005年の衆院選で民主党から北海道比例ブロックで立候補して初当選。現在5期目。

民主党政権では、鳩山内閣と菅内閣で、総理大臣補佐官(地域主権、地域活性化及び地方行政担当)、菅内閣の第1次改造内閣で総務大臣政務官。

現在、立憲民主党代表代行。

 

では、逢坂誠二氏の講演内容です。

 

■きっかけは、ふるさと創生1億円

逢坂さんが地方自治を真剣に考えるきっかけとなったのは、1988年から89年にかけての、竹下内閣の「ふるさと創生1億円」という政策だったという話から始まりました。

地方を元気にしようということで、全国3300(※当時)の市町村に、自主的、自律的に使い道を考えてもらおうという趣旨で、一律に1億円が渡された政策です。

 

【そのころ、私は、それぞれの市町村が何をしたかということよりも、どうやってお金の使い道を決めたか、その政策決定のプロセスに注目していました。

その決め方が、3300の自治体によって、まったく違いました。

住民のアンケートをとったところもあれば、住民による審議会のようなものを作り議論したところもありました。町長さん、市長さんが上意下達的に決めたところもありました。千差万別でした。

その後をみてみますと、上位下達で決めたところほど、住民の満足度が低いんですね。

決めるまでに手間がかかったとしても、住民が意見参加して決めたところは、満足度が高い。その事業が失敗しても、みんなが参加して決めていれば、失敗への許容度は高まることがわかりました。

つまり、住民が情報を共有して決めていくこと、政策決定に関わることができるかによって、満足度が変わってくる。

自治って大変だなあ、と思いました。】

 

 

■自治の原点は「村の寄合」

次に逢坂さんが語るのは、江戸時代にあった「村の寄合」です。

村の祭や道路や崖が壊れたときの修繕、ひとり暮らしの老人が暮らす家の屋根が台風で飛んだ、そういうあらゆることを、村としてどうしたらいいか、寄合で話し合い決めていた。

それが「地方自治の原点」というわけです。

寄合は戦前までありましたが、戦後、ひとつの村のみんなが農業をするわけではなくなっていく。人口が増え、職種がますますさまざまになると、みんなが一堂に集まれなくなる。

崖や道路の工事に参加できない人は、働けない分を、モノやお金に置き換えて負担するようになってくる。それが税金。

みんなで集まれなくなるから、代表を選んで決めてもらうようになる。これが議員、議会。

道路、橋、用水路と仕事が増え、複雑で専門的になってくると、村人みんなでやるよりも、できる人をつれてきてやってもらおうとなる。それが市役所、町役場の公務員。

 

【これらはみな村の寄合が原点なんです。

そこで行なわれているさまざまな仕事が、誰のためにするものなのかを考えれば、すべては村に住む人たちのためです。

村の寄合では、情報は共有されていました。そうでなければ話し合いができません。

いまの自治体の情報も、役所のものでも議員のものでもなく、そこに住む人たちのものなんです。

本来、自分たちがやるべき仕事を、役所の公務員や議員がやっている、というのが自治の原点だと思います。】

 

 

■情報公開は、最初は喜ばれなかった

 

逢坂さんは、町長になると、まず、徹底的な「情報公開」をしました。

情報公開請求があったから資料を出すのではなく、請求あろうがなかろうが、知らせるべき情報を公開した。

そして、「住民参加」も始めました。町のことを決める際に、なるべく多くの人に参加し、議論してもらうようにした。

ところが、住民からの反応はあまりよくなかった。

「情報を出されても、読めやしない、そんな暇ではない」

「若いとはいえ選挙で選ばれた町長なのに、なんでも住民参加だなんて言うのは、自分の仕事を放棄している」「主体性をもって、あなたが決めてください」

「情報公開、情報共有、住民参加は正しい。でも、そればかりやられても困る」

など、さまざまな批判が出たそうです。

 

■基本条例の始まり

 

そこで、何を思いついたか。

【ニセコのまちづくりの基本的な姿勢と手順、それを紙に書いてみようと思ったんです。

基本は、情報共有、住民参加。

どんな時にみなさんの意見を聞くのか、どんなときに参加できるのか――そういうことを紙に書いてぶら下げておけば、四六時中、町を監視する必要もないし、必要なときに情報が取れるし、参加したいと思ったらそこへ行けるだろうと考えました。

これがニセコ町まちづくり基本条例の始まりでした。】

 

自治基本条例を作ろうと思ったのが出発点ではなく、住民参加や情報公開、ニセコのまちづくりのスタイルをみんなに共有してもらうために、紙に書いていったのが、「ニセコ町まちづくり基本条例」へ発展していったわけです。

条例は2000年12月制定、01年4月施行です。下記で読めます。

https://www.town.niseko.lg.jp/chosei/keikaku/machizukuri_jorei/machizukuri_jorei/#

 

 

■住民投票と住民参加

 

住民参加を考えるとき、「住民投票」という方法もあります。

逢坂さんは、「住民投票を否定はしない」という立場。

「多数決は最後の意思決定の手法のひとつだが、民主主義は「賛成」「反対」だけじゃない結論の導き方もあると思います」として、次のように語ります。

 

【私自身、「賛成じゃないんだけど、納得せざるをえないかなあ」「どうしても許せないが、みんなの議論を聞いていたら、その結果も仕方ないかなあ」とか、そういうこともあります。

民主主義には、曖昧な意思決定というのも、ひとつの方法だと思っています。

問題になっている課題について、多数決で決めると結論を誤ることもあるんじゃないか。

「急いで多数決すべきではない、必要なのは十分な情報提供としっかりとした議論だ」というのが、私の考えです。

それでも、どうしても結論が出ないときは多数決、場合によっては住民投票もありうると思います。】

 

ニセコ町まちづくり基本条例には、住民投票の条項もあるが、住民投票をすべきだという課題が出たら、そのつど住民投票の条例を別に作る、という内容。

(第11章第48条「町は、ニセコ町にかかわる重要事項について、直接、町民の意思を確認するため、町民投票の制度を設けることができる。」

同第49条「町民投票に参加できる者の資格その他町民投票の実施に必要な事項は、それぞれの事案に応じ、別に条例で定める」

 

【ですからハードルが高いんです。

誰が投票できるのか、そのつど考える。その投票できる範囲を決めるのは重要です。それがしっかりしていないと、うまく機能しないこともありえます。

投票結果をどう扱うのかも重要です。尊重するのか、その通りにやらなければいけないのか、参考程度にするのか、それも個別の課題を投票するときに予め決めておこうというものです。】

 

■ゴミの最終処分場の決め方

 

民主主義の曖昧さについての例として、ゴミの最終処分場の話になりました。

ニセコ町で最終処分場を作ろうと思い、情報公開して、場所を選定したところ、その地域の住民から猛反発を受けた。まとまらなくなり、「住民投票で決めよう」という声が出た。

しかし、処分場を作ろうとした地域は、住んでいる人は少ないところなので、町全体で住民投票をやったら、圧倒的に賛成多数になるのは目に見えていた。

逢坂さんは、それは危険だと思い、どういう処分場を作るのか、どうしたら安全な処分場になるのか、徹底的に説明した。

【反対する方に、「こういう配慮をしますから、みなさんが心配していることはクリアできると思います」と説明を繰り返し、「ここに作るのに賛成はできないけれど、ここに作ることに納得せざるをえない」となって、了解を得ることができました。

ですから、民主主義はシロクロをつければいいわけではなく、いかに丁寧なプロセスで話し合いをしていくか、そして「賛成ではない、反対ではない、でも納得せざるをえない」という結論を導き出すことが大事なポイントではないか――こう考えています。】

 

 

ここまで逢坂さんの話を聞いて、武蔵野政治塾のモットーは「静かに、落ち着いて、そして激しく議論」ですが、それに通じる話です。

その「議論をすること」が、日本人は苦手だとされているけど、逢坂さんの話を聞いて、やり方次第なんだなと思いました。

 

続いて、武蔵野市長の松下玲子さんとの対談です。

元町長と、現職の市長なので、それぞれの実績があり、具体性をもった対論を期待してのセッティングです。

以下はなるべく対話のまま掲載します。

■自治基本条例、ニセコは全国初、武蔵野は全国400番目

 

松下 ニセコの自治基本条例は、全国で初めてのものなのですね(2000年制定、01年施行)。第1号です。

調べてみますと、他の自治体でも同じような基本条例を作ろうとしていたのですが、なかなかできず、「幻の条例」と言われていました。

武蔵野市は2年前の2020年に「武蔵野市自治基本条例」ができました。全国で400番目でした。19年の間に、全国に1700ほどある自治体のうち、400の自治体でニセコに続いて、自治基本条例ができたことになります。

前例のないことをされるにあたり、ご苦労があったと思います。

 

逢坂 たしかに全国に事例のない条例でしたので、何もないところから作る苦労はありました。

とくに、法的なアプローチには苦労がありました。

助けてくれたのが、全国の大学の先生、自治について考えていた自治体学会、地方自治経営学会の仲間のみなさんです。

 

松下 本のなかに、北海道大学の中で勉強会を立ち上げて、ニセコを事例に研究されたと書いてありました。その勉強会で最初の基調講演をしたのが、西尾勝(まさる)さん(東大名誉教授、日本行政学会理事長など歴任)なんですね。

西尾勝さんは武蔵野市と縁が深く、今年の3月に亡くなられましたが、市制施行75周年記念式典の日に名誉市民として推挙式を行いました。

西尾さんがまだお若い頃、武蔵野市の緑の委員を始めたことがきっかけで、武蔵野市政に関わってくださいました。武蔵野市が自治基本条例制定の検討のための懇談会の座長も務めていただきました。

そのなかで、西尾さんからも「寄合」が自治の原点だという話をうかがいました。

 

松下 松下圭一先生(法政大学名誉教授、日本政治学会理事長など)は、「職員は市民として考えろ」とおっしゃっています。

 

 

■ニセコの予算書はすばらしい

 

逢坂 武蔵野市といえば、以前、交通事故の起きるところを明記した地図を作ってましたね。

触発されました。

 

松下 地域生活環境指標ですね。今もつくってます。私がニセコ町で素晴らしいと思ったのは、予算書です。解説をつけているんですね。行政用語は難しいので、そのまま公開すればいいというものではないと、分かりました

データから見た武蔵野市(武蔵野市地域生活環境指標 令和4年版)|武蔵野市公式ホームページ

https://www.city.musashino.lg.jp/shiseijoho/tokeishiryo/chiikiseikatsu_kankyoshihyo/1040384/index.html

 

逢坂 予算書は、国のもそうですが、読んでも全く分からない。ですから議論もできません。

実態把握するだけで終わります。そこで予算書の解説を作りました。

道路工事なら、どこの道路を舗装しますと書く。補助金は、どこにいくら出すか書く。箱物の年間維持管理費はいくらで収入はいくらと一覧表にして書く。

そういう解説書を冊子にして全世帯に配っています。

最初は「こんなの無駄だ」「意味がない」と言われましたが、そうではない。行政の責任説明として予算の中身を明らかにして、その上で、議会で議論してもらおうということで、「もっと知りたい今年の仕事」として冊子を発行し、全世帯に配っています。

小さな町だからできるのです。そんなにお金がかかりません。今年で27回になると思います。

 

松下 予算書を「もっと知りたい今年の仕事」という言葉にしたのがすごいですね。

武蔵野市は季刊誌を年に4回発行していますが、春には予算書の説明をしたものを出して、全戸配布していますが、ニセコのほうが詳しいようですね。

市民にただ伝えるだけでなく、相手に伝わっているかどうかまで考えなければ、分かる資料でなければなりませんね。

 

 

■情報公開で大事なのは、公文書管理

 

逢坂 情報公開は、請求があって出すものと、説明するために出すものとがあります。

情報公開で大事なのは公文書管理です。日本は公文書管理のレベルをもっと上げなければいけません。

国に言っても直りません。とくに、安倍政権になってから、公文書を簡単に廃棄したり書き換えたりするようになってしまいました。今回の安倍元首相の国葬を決めた時の法制局と内閣とのやりとりの記録がないらしいという報道がありました。

ある方が情報公開請求したら、「不開示」となったんです。その理由は「未作成」か「廃棄」ということでした。これが日本のいまの実態です。

 

松下 公文書管理は、保存年限が国にもありますよね。それが「不存在」ということは、国葬をやるかどうかを決めるにあたり、口頭のみでやっていたということですか。

 

逢坂 そこがまだはっきりしないんです。「TANSA(探査)」というニュースサイトがあり、そこにこの件は載っています。

官邸、国葬の協議文書を「未作成」「廃棄」/公文書管理法に違反しても、内閣法制局との3日間を隠蔽か

こんなことでは民主主義になりません。地方自治の現場から、公文書管理はこうあるべきだというのを示さなければならない。個々の自治体で公文書管理のレベルを少しでも上げるようにする。それを市民のみなさんに見ていただく状態にするのが大事です。

ニセコ町では、予算編成のプロセスを公開しています。

各課から上がってくる予算の要求を決める会議も、住民が見ることができるようになっています。発言はできませんが。

情報を整理して公開することで、問題意識をもってくれ、判断のもとにしてほしいです。

 

 

■福田康夫内閣の公文書管理法に協力していた

 

松下 国の文書管理については法律がありますよね。

 

逢坂 あります。福田康夫内閣のときに、公文書管理法を作ろうとなったんです。

福田康夫さんは、群馬の方ですが、あるとき戦前の群馬の写真が必要になり、いろいろ調べたのですが、なかなかない。ところが、アメリカの公文書館にはそういうものがある。これは何なんだということで、福田さんは日本の公文書管理をやらなければと思ったそうです。

私もニセコ時代に公文書管理の重要性が痛いほどわかっていたし、外国へ行くと、ドイツでもフランスでもアメリカでも公文書管理にかけるエネルギーはすごいと知っていました。

そこで国会議員になってからも、公文書管理法をすべきだと言っていたら、2008年だったと思いますが、福田総理から、「公文書管理法を作りたいから手を貸してくれ」と言われたんです。

そこで私も協力しまして、2009年6月に成立したんです。

ただ、その法律では、うまくいかない恐れがあり、このまま世に出すのはまずいと思ったんですが、「せっかくのチャンスだから、小さく産んで大きく育てればいい」と言われまして、そうかなと思って、成立させました。

でも、その結果、いまのような状況で、公文書管理法を盾に取って、隠し、ないものにしようとしていて、これはひどいですね。

公文書をないがしろにするということは、歴史を書き換えることです。きちんと記録しないで、後世に対してどう説明するのか。

 

松下 検証できるようにすることが大事ですね。武蔵野の自治基本条例には公文書についても規定しました。民主主義は不断の努力で守っていかなければ。

 

 

■文書が公開されるとなると、公務員の仕事の姿勢も変化

 

逢坂 ニセコの場合、条例を作る時も、改正する時も、必ず住民に意見を聞かなければならず、その聞いた内容を条例のうしろに書いた上で議会に提出することにしました。

こうしてから、職員の仕事の質が上がりました。公文書管理を徹底して、あらゆる公文書がいずれは公開されるとなる、それと住民の意見を聞くという、この2つを決めたことで、職員の姿勢が変わります。

後に検証されると分かると、適当なことができなくなる。また、その逆に、自分がいい仕事をすればそれが記録され、後に残るわけです。

日本の公務員の心持ちが変わってくれればいいなと思います。

自治体の「広報」は、首長さんの宣伝だったり、行事や検診のお知らせといったものが多いわけですが、ニセコの広報は問題意識を持ってもらえるようなものにしています。

ゴミの処分場のときも、いま町はこんなことを考えていますと、書きました。

■武蔵野市の市報の試み

 

松下 武蔵野市も、最新の市報では、「子どもの権利条例の素案ができました」として、みなさんからのご意見を募集していますというのを、トップページに載せました。

 

(市報はここからダウンロードできます。

https://www.city.musashino.lg.jp/shiseijoho/koho/shiho_musashino/r4/1034910.html

 

逢坂 いいですねえ。これが大事です。

 

松下 市民にアンケートをとったら、「市の情報をどこから入手していますか」との質問には8割が市報からでした。

以前は新聞折込で市報を配布していたんですが、新聞購読率が減ってしまったので、いまはシルバー人材センターにお願いして全戸配布しています。

 

逢坂 市役所の情報って、市民には分からないものなんです。普通の人は役所には行きませんからね。とくに、若い方、現役世代は市役所が遠い。

だから、情報は市役所のほうから積極的に出さないと、動きません。それも役所的な意味合いで出すと、誰も読みません。

北海道に鷹栖という町があります。ここの議会広報がすごいんです。みんなに手をとってもらうため、電車の中吊り広告のような表紙にしています。

https://www.town.takasu.hokkaido.jp/gikaihou/2022/index.html

 

あと、いまはだいぶ変わりましたが、昔の公務員は住民への説明会をする場合は、早く終えて帰りたいものですから、なるべく多くのことを説明したくないので、専門用語を使うんです。そうすると、いかにも説明しているようですが、何も伝わらない。それがわかっていて、あえて行政の専門用語を使う。

たとえば、道路工事の説明をするのに「特殊解業第四種事業によってどうとか」と言ったりするんです。何言われているのか、全然わからないです。そういう言葉を平気で使っていたので、「それはだめだ」と言って、わかりやすい言葉で説明するよう指示しました。

あと、英語を使うこともあります。これも要注意です。

ニセコのまちづくり基本条例は、なるべく平易な言葉で書くようにしたつもりですが、まだまだですね。

 

松下 ニセコの条例は「育てる条例」として4年ごとに見直すんですね。

 

逢坂 私が制定してから2回目の改定のときだったか、議会は日本の法律では「議事機関」としか書かれていないのを、ニセコの条例のなかでは「議会は自治体の意思決定機関」としました。

いま、全国の地方議会の関係者が法律改正で、議会を「意思決定機関」と書いてくれと望んでいます。そういう議論が始まっていますが、ニセコはこれを先取りしました。

 

 

■住民投票の是非

 

逢坂 住民投票に限らないんですが、民主主義で大事なのは、安易にシロクロつけることではなく、十分な議論をして、相手の話もよく聞いて、少しずつ歩み寄ることだと思うんです。

多数決も住民投票も否定はしません。それも意思決定の手法のひとつと思いますが、議論をするプロセスを大事にしたい。

松下 武蔵野市の自治基本条例では、19条に住民投票を規定しました。ニセコとは異なり、常設型で住民投票を行なうことになっています。

ただし、住民投票をどうやって行なうのか、対象を誰にするのかは、別に条例で定めるとしました。

https://www.city.musashino.lg.jp/shiseijoho/shisaku_keikaku/sogoseisakubu_shisaku_keikaku/jichikihonjorei/1027065.html

そこで、昨年、2021年に住民投票条例案を議会提案したのですが、否決され、廃案となったので、住民投票条例はありません。

自治基本条例に、住民投票をするとありますので、これから、市民のみなさま、議会のみなさまと議論をして、どういう住民投票条例にするのかを考えていく段階です。

私個人の住民投票への思いを話しますと、都議時代に、東日本大震災、福島第一原発の事故後、原発稼働の是非を問う都民投票運動がありました。

これは東京都の条例にもとづくものではなく、地方自治法にもとづいて、50分の1の署名を集めて、都議会に、原発稼働の是非を都民に問いたいと提案されたのですが、否決されました。

私は、福島原発の事故後、原発の恐ろしさを知り、これは人間世界とは相容れない、原発はなくしていかなければとの思いを強くしたので、都民の信を問うべきだと都民投票に賛成しましたが、残念ながら反対多数でした。

原発については、いまも国民なり都民の意思を直接問われていません。

逢坂さんがおっしゃるように、世の中、シロクロを簡単につければいいというわけではない、プロセスが大事、議論を尽くしての合意形成が大事というのは、よくわかります。

ただ、いざという時に、その時の議会に諮らずとも、ある程度の署名を集めれば市民の意思が問える常設型の住民投票の制度を確立しておきたいとの思いで、案を作りました。

■武蔵野市の住民投票条例

 

逢坂 その思い、よくわかります。

たしか新潟県の巻町で、原子力発電所を作るかどうかの議論があって、最終的には住民投票があり、反対多数となって、発電所建設は撤回された例がありましたね。

繰り返しになりますが、多数決も住民投票も否定はしません。ただ、その前に十分な議論が大事だということなんです。

 

松下 十分な議論が大切だということは、昨年の住民投票条例が否決されたときも思いました。投票資格者に「国籍を問わず」と入れたことで、「外国人住民投票条例」とセンセーショナルに書かれるなど、残念でした。

 

逢坂 そのことをバネにして、自治体の意思決定はどうあるべきかを継続的に議論されたらいいと思います。そうすることが地域全体の底上げにつながります。

住民投票条例にチャレンジしてくださいではなく、意思決定をどうするかを決めることに果敢に向かっていけるといいと思います。

 

 

■政治の役割は、主権者と成長していくこと

 

逢坂 地方自治に限らず、政治が持っているひとつの役割は、主権者とともに成長することを常に考えなければならないと思います。

主権者のみなさんが納得すればいいというわけではない。

うまく言えませんが、みんなが賛成、賛成とばかりやっていたのでは進歩、進化がない。

安易なことを求めるのではなく、どうすればもっと高みにいけるかを考えていくことが、政治の重要な役割だと思います。

ご商売は、お客さんが欲しがるものを売ることが大事ですが、政治はお客さんが欲しがって売れるものだけを売っていたのではだめです。

たとえばお客さんに、「そればかり食べては体をこわしますよ」とか、「こっちがプラスになりますよ」と、意識しながらやっていくのが重要ではないかと思っています。

地方自治のほうが、国政よりもわかりやすい形でやれます。

ゴミ処理がその例です。かつては燃えるゴミ、燃えないゴミと分別していなかった。それが分別するようになった。しないほうが楽だけど、する。そうしないと環境に負荷を与えると、みんなが理解したからです。ゴミ収集が無料だったのが有料になった所もあります。

嫌なことも、面倒なことも、そうした方が良くなることを説明すれば、やれるようになります。

本当は嫌なんたけど、中長期に考えたらそれを実現したほうが社会がよくなる、地域がよくなると、みんなにわかってもらう、その作業をすることが政治の役割かもしれません。

 

松下 武蔵野市はゴミ処理施設であるクリーンセンターが、住宅街のなか、市役所の隣にあります。これは全国でも珍しいことだと思います。

 

逢坂 すばらしいですね。

 

松下 最初に作ったときに、まさに市民参加で議論したから、できたんです。

これからも議論することで、行政が市民参加と協働のサイクルを重ねていくことで、よりよくしていきたいと思っています。

■主催者としての反省

 

参加された方から「面白かった」との声をいただきましたが、私としては、もっと議論してほしかった、という思いも残りました。

2人とも基本は同じ考えなので対立するわけはないから、議論をぶつけるという形にならないんだなと、終わってから分かりました。

松下さんには「徹子の部屋」方式でとお願いしたのですが、それだと議論するのは難しかったかもしれません。

まだ3回なので、これからも、いろんなパターンでやってみます。

それから、タイトルには「平和」とありながら、その話が出ませんでした。お詫びします。

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