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NEW!!【活動報告】第16回「ジャーナリズムは、いま生きているのか?」講演篇

第16回は、「ジャーナリズムは、いま生きているか」をテーマに、吉祥寺の東急REIホテルで開催されました。
テレビ「サンデーモーニング」などに出演されている青木理さんを講師に、元文部科学省の官僚で映画プロデューサーの寺脇研さんが「聞き手」として登壇されました。
会場は満席。質疑応答コーナーでは、青木さん・寺脇さんへの厳しいご意見も飛び交い、会場の方々からのやじも飛び、騒然となった瞬間も。
武蔵野政治塾の橘民義・事務局長は、この熱い展開を「これが武蔵野政治塾だ」と歓迎していましたが、事務局スタッフは、どうなることかと心配していました。

司会は、さこうもみ(武蔵野市議会議員)さんです。今回が初登場です。さこうさんは、今年(2023年)の武蔵野市議会議員選挙に、無所属で立候補し当選されました。29歳という20代で唯一の候補者でした。

さこうもみさん
本日のテーマは「ジャーナリズムは、いま生きているか」です。
「サンデーモーニング」などいくつものメディアに政権が圧力をかけていたことなど、いろいろな話が明らかになっています。
放送法第4条の「政治的公平」についての、政府による解釈変更の高圧的な要求なども大きな問題となっています。
そこで、ジャーナリズムや報道に対してどのような圧力がこれまでに存在したのか、メ゙ディアはそれにどのように抵抗してきたのか、そんなことを考えていきたといと思います。
対談には、冷静かつ落ち着いたコメントをしていらっしゃるジャーナリストの青木理さん、元・文部科学省の官僚で映画プロデューサー、評論家の寺脇研さんをお招きしています。
青木さんは幅広い分野での取材経験を持ち、政界や公安警察、日本会議など、いろいろなお話をしてくださるのではないかと楽しみにしております。
また政府についても、とても鋭い批評をしてこられた寺脇さんが、聞き手を務められます。
お二人の対談を通じて、メディアにおける圧力やその対応策など、深く議論をしていければと思っております。

寺脇研さん
今日は「聞き手」なので気が楽です。(笑い)
教育がテーマだと、私はいろいろやられる側ですが、今日はジャーナリズムをテーマに青木さんにいろいろお話を聞こうと思っています。

【青木さんの自己紹介では、学生時代は吉祥寺に住み、新聞記者時代も三鷹市下連雀に住んでいたので、今日は懐かしいというお話から始まりました。
青木さんは、テレビやラジオに出ていますが、本当は人前で喋るのが苦手だそうで、今回は、対談ならばということで、引き受けていただき、そのお相手に、寺脇さんを選ばれた経緯も紹介されました。お二人は新宿ゴールデン街の酒場でよく一緒になったそうですが、その店が3月で閉店になってしまい、会うのは久しぶりということです。】

■バブル世代としてメディアの世界へ

寺脇 青木さんが記者になられたのは何年ですか。

青木 大学を卒業して通信社に入ったのが、1990年です。悪名高き「バブル世代」です。寺脇さんプロデュースの悪名高き「ゆとり世代」と並ぶ、悪名高い世代です。【会場、笑い】

寺脇 司会のさこうさんは、高校・大学と知っているんですが、ゆとり世代第一期生です。当時、「ゆとり世代が世の中に出てきたらとんでもないことになる」「全員バカになる」と言われ、私は「違う」とも言えないけど、「実際に出てきたら分かる」と言っていました。
その「ゆとり世代」が、大谷翔平の世代です。

さこう 立派な世代です。

寺脇 あれは天才だから、世代とは関係ない。【笑い】でも、大谷君は「巨人の星を目指して一直線」というのではない。目標を立て、それを達成するための具体的な項目を挙げていく思考法ですね。

青木 では前言を撤回して、バブルは悪名高いけど、ゆとり世代は、そうではないということで。
これはジャーナリズムの話にも通じますが、僕が1990年に通信社の記者になって、15年、16年してフリーランスとなり、17年か18年がたっています。この30年が、まさに「失われた30年」で、おまえは何をやってきたかと言われますが、「恥の世代」です。メディアの片隅で30年仕事をやってきて、その結果が今ですから。
だから、バブル世代はロクなもんでないですよ。全共闘世代もロクなもんじゃないかもしれませんが。【会場、笑い】

■岸田総理は詰め込み教育世代

寺脇 学習指導要領は10年ごとに変わるんですが、「ゆとり世代」は2002年からのもので、その年の小学3年生からが、その世代です。
【寺脇さんは文部科学省の官僚時代、ゆとり教育の広報を担っていました。】
当時、こんなに授業時間を減らしていいのかと言われました。一番詰め込んだ世代は、1971年から1980年までで、覚えなければならないことが多かった。
その世代、70年代に小学生だったのが、いまの50代から60代です。岸田総理(1957年生まれ)もその世代です。なるほどと思います。
岸田総理は、東大を3回受けて落ちたそうですが、何かを学びたかったのではなく、ただ東大に入りたかった。総理になっても、何がやりたいのかが分からない。いちばん権力をもっているからなりたいだけなんですね。
いちばんいい大学に入ればいい、いちばん権力をもっているポストにつければいい、という発想なんですね。そういう方がいま総理大臣になっている。その日本って、いったい何なのだろう。

■世襲政治こそ最大の問題

青木 いきなり大きな話になりましたね。
そもそも僕は政治記者ではないんです。政治記者をバカにしていました。政治記者にだけはなりたくなかった。政治家にゴマすってネタを取らなければならないなんて。
社会部の記者になりたかったんです。市井の人々の声、喜びや悲しみを拾う、そんな記者になりたかった。それもいろいろありまして、通信社では、外信部に配属され、韓国のソウルにいたこともありますが、政治記者ではないし、これからもするつもりはありません。
さきほど、冗談で「世代論」を言いました。世代は時代背景、社会、教育のシステムなどとリンクしますので、まったく無意味とは言いませんが、世代で区切って人びとを規定するのは無意味だと思います。
それでも言えば、世襲政治の問題です。「失われた30年」をバブル崩壊を起点とすると、総理大臣では宮沢さんあたりからですが、それ以降の総理大臣は、親が国会議員の世襲議員が、6割です。これは、毎日新聞の吉井理記さんという記者が調べたんです。
民主党でも鳩山さんが世襲でしたね。実は僕、鳩山さんにインタビューしたとき、「世襲なんてろくでもないです。3代世襲なんてもっとろくでもないです」と言ってしまったら、鳩山さんはにっこり笑って「僕は違います。4代目です」【会場、爆笑】
それはともかく、民主党はその次は菅直人さんと野田さん。どう評価するかは別として、3人のうち2人が非世襲でした。
自民党だけでみると8割が世襲です。では、その前の首相は、世襲はゼロでした。
僕は『安倍三代』という本を書きました。安倍晋三さん、安倍晋太郎さん、それから岸信介さんではなく、父方の祖父である安倍寛さんの三代の政治家を調べたルポです。
さっきの寺脇さんの話に共通しますが、何かを学びたくて大学に入るのではないのと同じように、志があって政治家を目指しているわけではない。いまの社会の何かを変えたいというわけではない。いまの社会をこうすべきだと思ったとか、自分の理想を抱えて政治家になったわけではないーーまあ、理想に突っ走る政治家もろくなものではないんですがーー親が政治家で、俗に言う、地盤・看板・カバンがあるから政治家になっている。
安倍さんも岸田首相もそうです。
こういう人たちは、究極の既得権益者です。ましてや、バカ息子かドラ息子は知りませんが、息子さんを秘書官にして、継がせようとしているみたいですね。
そういう既得権の上にいる人たちに、改革・変革ができるはずがない、自分の既得権を切り崩すことはしません。世襲のありようは考えるべきです。
伝統芸能、中小企業経営の世襲は、別です。こちらのほうが、世襲でも自力が問われます。
たしか上岡龍太郎さんが、「芸人から政治家になった者はいるが、政治家から芸人になった者はいない」とおっしゃった。つまり芸人のほうが、才能がないとなれないんです。なるほどと思いました。

■芸人は世襲しても、観客の評価にさらされる

寺脇 同感です。役人をやっているかたわら、映画を撮っていまして、落語の世界とも付き合いがあります。落語家も、林家木久扇さんのような有名なお父さんがいて、木久蔵さんが後を継いでいますが、継いだだけでは安泰ではない。親と比べられ、芸がどうだこうだと言われます。先代の林家三平師匠のお子さんを、若い頃からよく知っているのですが、お父さんが人気があっただけに、「世襲でなっただけだ」などと言われ、非常に悩み苦しんでいます。
政治家の世襲でも、首長はあまり聞きません。なぜかというと、直接選挙で選ぶからです。お父さんは立派な市長だったけど、息子は駄目だとなると、次の選挙で落とされる。
国会議員だけが世襲の恩恵に浴していると言えるんじゃないですか。

青木 こないだ「サンデーモーニング」で、小泉進次郎さんのVTRが放映されました。
小泉進次郎さんは「歌舞伎とか伝統芸能の世襲とは違って、我々は選挙で当選しないと世襲出来ないんです。だから、私たちはただの世襲じゃないんです」とおっしゃっていました。
たしかに、選挙の洗礼を受けているのでしょう。
しかし、そうなってくると、選挙制度の問題ですね。同一選挙区から親族を出さないようにするなど、考えなければ。イギリスでは同一選挙区から親族は立候補しない規則があり、世襲政治に一定の歯止めをかけている。
憲法に「職業選択の自由」がありますので、憲法の枠内でどう規制できるのかは慎重に議論する必要もあると思いますが、これだけ世襲がのさばる状況は異常だという認識はしなければならない。
先日の広島でのG7サミットで、主要国の7人のリーダーのうち世襲なのは、(岸田さんの他は)カナダのトルドーさんだけです。
世襲政治は、既得権であると同時に、政治のある種の階層化をもたらしている。この30年を考えていると、社会から「活力」あるいは「多様性」を奪っていることは否めない。
何らかの形で、改善の道を探るのが必要だと思います。
ましてや、公邸で忘年会やって写真撮ってはしゃぐとは、なんですか。それを指摘されると、(岸田さんは)「僕は報道で知った」とか言っていましたが、自分も写真に映っているじゃないですか。
これを見ると、政治の緊張感がなく、権力の私物化がなされ、権力を持つことの畏れといったものがなくなっているのは明らかです。

■公邸忘年会のどこがいけないのか

寺脇 小泉進次郎さんの言葉、「選挙で選ばれている」に騙されるな、と言いたい。国会議員は受益者が選んでいるわけではない。市長の場合は、「この人が市長だと幸福になれない」と思われたら落ちるわけです。でも、国会議員は違う。小泉さんの選挙区の人が、「小泉さんに投票しても幸福でない」と言っても、「いえ、僕ひとりで決められるわけではありませんから」と言って、当選してしまう。
芸人さんは人気がなくなれば終わり。「僕らは選挙で選ばれているからすごい」なんて言っているのはバカじゃなかって話です。
公邸の騒ぎは、もっと叩かなければおかしいです。一方で、回転寿司で何かした人は天下の極悪人みたいに言われ、6000万円も損害賠償請求されて、名前もさらされてしまう。テレビはそれをさんざん映す。
だったら、公邸の問題もそれと同じくらいやらなければおかしい。
私も首相官邸へはよく行きましたが、非常に厳粛なところです。いまの公邸が官邸だったころ、20代の半ばでしたが、事務次官会議に出す資料に間違いがあったと分かり、「差し替えてこい」と言われて、虎ノ門から、全力疾走で首相官邸へ行ったことがあります。閣僚が並んで記念撮影をする階段をダーと上がろうとして、手すりを掴んだら、グラグラとしたんです。古い建物ですから。もし折れていたら、大変なことになりました。
あの首相官邸(いまの公邸)で、2.26事件、5.15事件があり、8.15だって官邸を襲うという話があった。そういう歴史を知っていたら、チャラチャラすることはありえません。マスコミがあの一件を責める理由に、それが入っていない。
歴代の総理大臣のなかには、官邸で命を落とした人もいた。そういう歴史の重みを分かっていない人が総理大臣になっていることが大問題だと、どうしてマスコミは言えないんでしょうね。

■かつてのマスコミには「怖さ」があった

青木 僕自身が30年マスメディアの片隅にいたので、マスメディアに対して言うことは、すべて自分にも跳ね返ってしまうんですが、それを覚悟で言います。
ひどい惨状です。
新聞ですが、全国紙のおよそ半分は政権の提灯持ちです。大手町に本社のある、世界最大の発行部数を出していると公言している新聞社は、保守であり、決してリベラルとか左ではなかったんですが、昔は怖さというか骨がありました。
僕は通信社に入り最初の赴任地が大阪の社会部で、かつて黒田清さんという大阪の読売新聞社会部長が率いていた――あ、名前、言ってしまいましたね――黒田軍団はジャーナリズムの気概がありました。現在読売を牛耳っているナベツネさんにしても 小泉政権時代に首相の靖国参拝に正面から反対していました。
ですが、いまは政権の意向に反旗を翻すどころか、物申すこともない。
大手町の、もうひとつの新聞社は、みっともないくらいにすり寄っていますね。
最近聞いた話――笑い話ですが――大手町にある、青い題字の新聞――毎日新聞ではないほう――の政治部の記者が、記事を書くのに使うパソコンにステッカーを貼っているんです。僕が現役の頃も、パソコンに貼り紙をしている人がいましたが、それには「数字、固有名詞の確認を。訂正撲滅」とか書いてありました。しょっちゅう間違えていたんでしょうね。
ところが、その政治部の記者さんのパソコンには「安倍さんの遺志をついでがんばろう」というステッカーが貼ってあると言うんです。
唖然としますよね。
一市民として支持する政党や政治家がいるのはいいんです。しかしこの仕事をする限りにおいて、政党や政治家を支持することを、パソコンに書いている時点で論外なんですが、そういうメディアがある。
新聞など紙メディアは、部数が低落しています。これは嘆いてもしょうがない。グーテンベルクが活版印刷を発明して以来の激変期にあります。
新聞以外でも、先週でしたか「週刊朝日」が休刊しましたように、紙メディア全般が弱っている。貧すれば鈍するとでもいう状態です。

■文春砲が元気な理由

青木 そのなかでファイティングポーズをかろうじて取っているメディアも厳しい状態に置かれています。
「週刊文春」は「文春砲」と呼ばれ、気を吐いていますが、これも僕に言わせれば明るい兆候ではなく、「蝋燭の火が燃え尽きる前の輝き」のように思います。そう言うと、「文春」の人に失礼かもしれませんが。
なぜ文春だけが元気に見えるのか。「週刊文春」の、そして発行元の文藝春秋の編集者が優秀だからではあるのですが、それだけではない。かつて、他の週刊紙には、写真週刊誌も含め、「トップ屋」という人たちが群雄割拠していたんです。「フライデー」や「フォーカス」などは、張り込みさせたら、絶対に逃さない。もちろんそういう記事のなかにはくだらないものもあったし、ビートたけしに乗り込まれる事件になったこともありました。玉石混淆ではあった。
いまやおじさん世代の健康維持雑誌になっている「週刊現代」「週刊ポスト」にしたってスクープを出していました。新聞社系の「週刊朝日」「サンデー毎日」もがんばっていた時代があった。
そういうところが軒並み部数が下がり、そういうところにいた猟犬、野良犬みたいなトップ屋たちが、「週刊文春」「週刊新潮」に集まっているので、そこからスクープが出ると言われています。
その「週刊文春」にしても紙だけでは赤字なので、将来が明るいわけではない。なので、「蝋燭が消える前」と感じてしまう。

■自己規制で報道ランキングを下げている

青木 僕も、なぜマスメディアは(政権に)もっと怒らないのか、噛みつかないのかと思います。けれどもいまのマスメディアの状況は転換期にあり、足腰が弱っている。と同時に、安倍政権が象徴的でしたが、テレビなどは相当に恫喝され、威嚇された。
為政者というのは、どこの国でも、口うるさいメディアを黙らせたいものなんです。それはアメリカでも変わらない。ロシアやサウジアラビアとは異なり、少なくともこの国では、記者が殺されることは、ほとんどないのだから、政権の圧力なんて鼻でわらっていればいいのに、じりじりと後退している状況は、情けない。
パリに本部のある「国境なき記者団」が発表している「報道の自由ランキング」で、民主党政権の2011年か2012年は10位か11位だったのが、去年は71位で、今年は68位です。先進主要国では最低です。
去年か一昨年の「国境なき記者団」による選評を読んで愕然としたんですが、そこには「日本のジャーナリストは、概ね安全な取材環境を享受している。しかし自己規制によって、報道の自由ランキングを下げている」という趣旨のことが書かれていました。
記者クラブ制度という問題点の多いメディアの慣習がありますが、自己規制によって報道の自由ランキングを下げているのは情けない。
特定秘密保護法などで政府が情報を隠す、あるいは政府の情報収集能力だけを高めていく政権のありよう、メディアを恫喝するのも問題ですが、それ以上に、メディアも情けない。

■読売新聞は、安部元首相礼賛記事の新聞を学校に配っている

寺脇 去年の7月に、大分県の湯布院で「由布院文化記録映画祭」というドキュメンタリーの映画祭があり、『教育と愛国』を上映したので、私はゲストで行ったんです。
そのとき、大手町にある日本で一番発行部数の多い新聞社が出している小学生新聞が配られていました。見たら、ちょうど安倍元総理が殺された直後だったので、安倍元総理がどんなに素晴らしいか、国葬に値するなどと書いてありました。
読みたい人が読むだけなら、別にいいんですが、これを学校に配っている。そうすると、うっかりしている教育委員会や校長は、児童に配ってしまう。
これを組織的にやっています。調べてもらったら、大分県内でも、革新系が強いところには配っていない。だから、武蔵野市でも配られないですね。【笑い】保守系の強いところにのみ配布しているんです。
偏った内容のものを作るだけでなく、小学生全員に配布する。学校でもらったものなら、みんな読みますよね。親だって、読ませてしまう。新聞を読むのはいいことですから。
そんなことまでするのか、マスコミは地に落ちています。

■前川喜平氏のスキャンダル記事のウラ

寺脇 青木さんと一緒に仕事をするようになったのは、加計学園問題のときで、文部科学省の前川喜平事務次官が、歌舞伎町の怪しげなところに行っていると、その大手町の新聞社が記事にしたことからです。
前川さんはメディアのことは何も知らない「裸の王様」でしたが、私はすでにテレビのコメンテーターの仕事もしていたので、少しは分かるので、ぼんやりしていると何をやられるか分からないので、助けることにしました。
前川さんがいかがわしい所に行っていたという情報を、官邸は「週刊新潮」と「週刊文春」にも、書いてくれと流したんです。そこで、私たちは「文春」に、「こういう情報を渡すから裏張りでやりませんか」と持ちかけたんです。「新潮」は官邸からの情報で記事を書きました。同じ発売日に、正反対の記事が出たんです。
それを「文春」に渡すことを知ったNHKが「ちょっと待ってくれ」と言ったんですが、「お前の所は書かないし、待っていたらこっちがやられてしまう」と言って、「文春」に出しました。結局、NHKは最後まで出さなかったです。
信用できるのは NPO系、独立系のメディアです。宮台真司さんのやっていた「ビデオニュース」が時間制限もなく、言いたいことも言えるというので、前川さんを出しました。それで言いたいことを言えました。そうやって守らないと、前川さんはあの時点で抹殺されていました。

■前川喜平氏の記事で「底が抜けた」

青木 前川さんのいわゆる「出会い系バー通い」を読売新聞が報じたとき、僕は「底が抜けた」と思いました。読売は東京、大阪など4本社があり、社会面はそれぞれの本社で作るのですが、あのときは全部に同じ大きさで出ました。あの記事があの形で出たことは、この世界にいる人間ならば、その事情が普通に分かる。中央から「載せろ」という指令が出ていたわけです。
あの記事は二重三重に悪質でした。前川さんの情報を誰が集めたのか。いくら文部科学事務次官という行政のトップとはいえ、プライベートな時間で出会い系バーに行っていると調べられるのは警察しかない。
公安警察の理屈で言えば、我が国の役所のトップにいる人間がどんな人かを調べることは必要だ、となります。たとえばどこかの国のスパイになっているかもしれないわけです。あるいは変なスキャンダルを起こさないかと、事前に調べる、いわゆる「身体検査」をするのは必要だという理屈で調べているわけです。
僕は、そういうことを警察が調べること自体が不当だと思います。警察は、警察法に基づいて、犯罪が起きた時にしか捜査権、情報収集権はないはずなんです。
不正だとは思いますが、理屈として、そういう情報を集めることは必要だとしても、警察が集めた情報を政権が入手して使うのは、さらにおかしい。
当時の官房副長官は杉田和博さんという、警察庁警備局長を経験した警察官僚です。
聞いたところによると、前川さんが事務次官に就任したとき、杉田さんに呼ばれて、「お前、変な所に行くなよ」と言われたそうです。前川さんは、「杉田さんがなんでそんなことを知っているんだろう」とびっくりしたそうですが、そのときは忠告をしてくれたと受け止めたそうです。
警察が職務として集めた官僚のプライベート情報――僕は集めること自体が不正だと思いますが――その情報を、時の政権に歯向かったものを潰すためにマスコミにリークした。これは二重三重に大問題です。
この仕組みは、マスコミの中にいる人間ならば、すぐに分かるんです。
読売の社会部長だったひとは、僕が地方の支局にいたときに一緒だった記者なんです。東大卒業でクレバーな優秀な記者でした。だから彼だって、分かっているはずなんですが、彼の権限ではなかったのでしょう、載せることになった。
結果的に、前川さんは潰されなかった。前川さんというのは不思議な人で、出会い系バーへ行っても何もしてなかったそうですが【笑い】。

寺脇 あれは行って何かする所ではないんですよ。

青木 でももし仮に、何かあったとしたら、完全に潰されていました。加計学園の問題が広がることもなかったでしょう。そうなれば、当時の政権の望むところで、まさにそれを狙って新聞にリークしたわけです。
日本のメディア特有の事情ですが、テレビを系列下にしてクロスオーナーシップになっていますので、日本最大の発行部数を誇示する読売新聞は日本テレビ、産経新聞はフジテレビ、朝日新聞はテレビ朝日とリンクしています。毎日新聞とTBSは提携はしていてもそれほど関係が強くありません。ですから、読売新聞に情報を流せば日本テレビにも伝わる。
そして、いま、日本のメディアは半分が御用化しているわけです。かろうじて、残っているところも厳しい状況に置かれ、政権に恫喝されて萎縮、シュリンクしている。
あの記事は、戦後メディア史に特筆すべき、不祥事、大事件だったと思います。
さいわいにも、前川さんは潰されなかった。寺脇さんがうしろで支えていたからです。

■マスメディアが良かった時代

寺脇 前川さんは文部科学省の後輩で、個人的にも仲が良かったんですが、そうでなかったとしても、これは大変なことだと思い、守ったんです。
これまで「悪い」ことばかり話して来ましたが、「良かった時代」を振り返ってみます。
青木さんが記者になられた頃(1990年頃)、私は課長になりました。課長になると、記者クラブの新聞記者さんと、丁々発止をすることになります。その時代のマスコミはよかった。それは、役人にとっては辛かったということです。
そのちょっと前、1988年にリクルート事件がありました。朝日新聞の川崎支局のスクープから始まり、最後は総理の首まで飛びました。
その頃、新宿のゴールデン街に、朝日新聞の記者のたまり場の店があって、そこで私が飲んでいたら、若い朝日新聞の記者が興奮して、川崎でのリクルートのことを話していました。それを聞いて私は、「川崎支局、偉いね、カンパーイ」なんてやっていたんです。まさかうちの役所に関係して、事務次官が捕まるとは思わなかったものですから。
最後は総理大臣(竹下登)まで辞めることになり、マスコミの力はすごいなと、思いました。
私も、捕まった次官の指示で仕事をしていたので検察にも呼ばれ、記者クラブで記者会見までさせられました。これはクビだな、自分から辞表を出さなければならないかなと思ったこともありました。でも、下っ端でしたから、たいしたことはなかったです。
マスコミはそういうすごい力を持っていました。「4権」(第4権力)と呼ばれていました。行政、立法、司法の三権に並ぶ力を持っているという意味ですが、いまや死語でしょう。マスコミが強すぎるという批判さえありました。それを支えていたのは読者であり、国民の皆さんです。
私は役人の側にいましたが、マスコミとのことで言えば、売上税が潰されたのは衝撃でした。役所の中の役所である大蔵省が、財政が厳しいから導入しようと決めたことが、マスコミの批判と国民世論によって潰されてしまった。
それを見て、霞ヶ関の人間は、「役所が言えば国民が従う時代は終わった」と感じました。「これからは徹底的に説明しないといけない」と、なったんです。

■記者クラブの昔といま

寺脇 私が課長になったとき、いろいろと新しいことをやりました。ひとつは家庭科を男子も受けるようにすることです。反対はありませんでした。もうひとつが、鳩山邦夫さんが文部大臣のときに、偏差値で高校を選ばせるのをやめようとなりました。政治主導で、大臣が記者会見でいきなり言ってしまい、やらなければならなくなりました。あのときは、記者から地方の具体的な例をあげて質問されるなど、いろいろと突っ込まれました。夜討ち朝駆けを経験したこともあります。
当時は、記者クラブだからと役所の発表通りに書くなんてことはなかった。同じ建物の中に記者もいるので油断がならなかった。外出先から戻ると、私の机の前に記者がいて、机の上の資料を見ている。その緊張感がありました。
実は、内閣府は最初から、記者クラブがない役所なんです。加計学園事件でも、記者クラブがないので内閣府は突っ込まれなかったんです。
私が役所を辞めたのは2006年ですが、以後、記者クラブも変わったようです。いまの記者は、話している人の顔も見ないで、黙々と(パソコンなどを)打っていますね。ああなってから、おかしくなっている。

青木 庁舎管理権が厳しくなり、さっきの寺脇さんの話にあったように、記者が机の前にいたなんてことは、いまはできないでしょう。先輩の新聞記者は課長クラスには威張っていて、小僧扱いをしていました。それがいいかどうかは、わかりませんが。
記者会見は激変しました。先日、JAXAの会見で、ロケットの打ち上げが失敗したとき、「それは失敗と言うんだと思います」と記者が言ったら、大炎上したらしいんですが、あれは失敗でしょう。でも、そう言うことも許されなくなってきた。

■昔のメディアにも問題はあった

青木 俯瞰して言えば、「かつては良かった」という物言いはしたくないんです。かつてもひどかったんですよ。先日、西山太吉さん(毎日新聞記者)が亡くなりました。
彼は、当時、沖縄返還時の日米政府の密約の機密情報を、外務省の女性事務官から入手し、紙面に完全に書ききったかというと微妙なんですが、その文書が社会党の代議士(横路孝弘、楢崎弥之助)に渡ったことで大問題となりました。
西山さんが外務省の女性事務官と深い関係になったという、取材手法が問題となり、最終的に西山さんも女性事務官も(国家公務員法違反で)逮捕されました。
検察が起訴状に、「情を通じて機密文書を入手した」と書いたことで、本来は「国家のウソ」「沖縄返還をめぐる日米の密約」が追及されるべきだったのに、男女のスキャンダルへと矮小化されてしまった。「外務省機密漏洩事件」と総括されたんですが、本質は、「密約事件」です。
国家のウソが完全に許されてしまった。メディアは、当時の佐藤栄作政権の思うつぼにはまってしまいました。
そう考えると、昔もひどいものでした。昔の政治記者、いま大手町の新聞社を牛耳っている人なんて政治家の手先として動いていたわけですから、
けっして、かつてが良かったわけではない。
でも、佐藤栄作氏が退任会見で、「テレビは本当のことを伝えるけど、新聞はウソを書くから出ていけ」と言ったら、記者たち全員が出て行き、佐藤栄作は無人の記者室でテレビカメラに向かって、会見をしました。いま、出て行くことができるかなと思うと、昔は立派だったとも思えます。

■メディアが作った検察神話

青木 リクルート事件も、いまになって考えると、神奈川県警が捜査していた事件なんですね。それを県警がいろんな裏事情でこれ以上やらないという情報を、朝日新聞川崎支局が入手して果敢に書いた。立派な調査報道で、最終的には政権中枢を直撃し、内閣が倒れるに至りました。
ただ、その過程で、この国のジャーナリズムの問題点も明らかになっています。あの情報を、メディア、とくに朝日新聞は「書く」だけでなく、検察に持ち込むんです。検察と二人三脚で政権を追及していく形態をとった。ジャーナリズムというより、「ペンを持った検察官」という状況になっています。
その結果、検察は絶対正義となってしまい、神話を作ってしまった。検察、法務が改革とか監視の対象から外れてしまい、いまだに世界でも悪名の高い刑事司法制度が残されています。
今回の入管法改正案も、作っているのは法務・検察です。世界の人権意識を無視したものを堂々と出してくる。ああいう組織が温存されてしまった。
寺脇さんが「記者クラブは怖い」とおっしゃっていましたが、検察と警察に関しては、記者のほうが圧倒的に弱いんです。記者会見に、ほとんどカメラが入ったことがないのが、検察庁と警視庁です。検察庁で、「政治家を捕まえました」と記者会見をしている映像を見たことのある人は、ひとりもいないはずです。カメラを持ち込ませない。警視庁も「大物を捕まえました」と、警視総監などが記者会見することは、ほとんどありません。
僕が記憶しているなかでは、1970年代の連続企業爆破事件の、東アジア反日武装戦線をいっせいに逮捕した時と、オウム真理教の麻原彰晃を捕まえた時くらいしかありません。
マスメディアは強気に弱く弱気に強いところが、一貫して流れているし、捜査当局と二人三脚でやっていることが、結果として捜査当局の「手下」になっている面も否めません。
そう考えると、「戦後のかつてのマスメディアは良かった」と言われると、うーん、どうかな、となってしまいます。
ただし、メディアの経営環境、メディアの足腰が弱くなったという環境、過半のメディアが政権の提灯持ちになったという、この10年、20年がひどいというのは事実です。

■「反骨じゃないジャーナリスト」に存在意義はない

寺脇 いまのこの状況、変えられますか。私は絶望しているんですが。

青木 この30年間、メディアの片隅で仕事をしてきた我々は「恥の世代」と言われるだろう――これは僕ではなく、平野啓一郎がおっしゃったんです。
かといって、諦めるわけにはいかないんですが、現状を見ていると、寺脇さんと同じような気分にならざるをえません。
ただ、メデイアだけの問題ではありません。
1000兆円を超える借金を抱えて、社会保障の将来像が描けず、だから、みな貯め込んで消費もしない。その結果、経済成長もしないし、世襲政治家のもとではイノベーションも起きない。シュリンクしていくばかり。賃金もどんどん落ちている。
入管難民法なんてひどいものです。本当に命を奪われかねない人たちが現にいるにもかかわらず、追い返す。いちばん衝撃だったのが、先日「毎日新聞」に載っていた、フランスの政治に詳しい上智大学の先生のインタビューです。今回の入管法改正案について、日本で生まれ日本で育った子どもさんに在留特別許可を与えることを、政治取引の材料にしていたんです。フランスの識者によると、18歳未満の少年少女、子どもは、非正規滞在も正規滞在もなく、無条件に保護の対象なので、在留特別許可も何もないというのが、世界的な常識なんです。それが政治的駆け引きの対象になってしまう国なんて、本当に滅びると思います。
そういう政治とどう対峙していくか。
よく、僕は「反骨のジャーナリスト」とよく言われるんですが、おかしいでしょう。「走るランナー」みたいで。【笑い】
「反骨じゃないジャーナリスト」なんて、ジャーナリストとしての存在意義がない。
こつこつと書き、喋るという仕事をしていくしかないのかなと思っています。
武蔵野市の行政には、ちょっと希望を持っています。武蔵野市民ではないので、羨ましいなと思っています。

■絶望的な状況での一縷の希望は「地方」

寺脇 国を変えるのは絶望的だと思っています。国の行政、政治は。
変えられる可能性があるのは、地方だと思います。地方が変わっていったら、国も変わらざるをえなくなる。
昔は逆でしたね。「国が変わると地方が変わる」と言われていました。
先日、佐高信さんが、「いつの間にか、地方はどんどん自由になっている」とびっくりしていました。1990年代終わりに地方分権が始まり、市町村長がその気になれば、相当なことがやれるようになっています。
武蔵野市や兵庫県明石市がやったようなことは、昔なら国が止めていました。たとえば、武蔵野市が「うちは30人学級にします」と言っても、「あなたの所だけそうするのはダメです。武蔵野だけが幸せで、どこかの貧しい村に悪いと思わないのか」と言われましたが、いまはできます。貧しいところに悪いと思わないでいいんです。
どこかがやると、「なぜうちではできないのか」「なぜ国ではできないのか」となっていく。私はそこに一縷の期待を持っています。
地方なら、議会の議員を男女半々にすることもできますが、国会なんて何百年かかるか。ほとんどが世襲で、しかも「女性は天皇になってはいけない」なんて言っている連中がやっている。
武蔵野政治塾から日本が変えられるのではないかと期待しています。

~質疑応答編に続く~

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