Skip links

NEW!!【活動報告】第18回「戦争の痕(きずあと)」質疑応答篇

続いて、30分ほどの質疑応答となりました。

■なぜ戦争は起きるのか、どうやったら防げるのか

会場の方 1
戦争の何とも言いようのない不条理さとか、愚かしさはよく分かりました。しかし、松下市長がチラシに書かれているように、「戦争にしないためにはどうしたらいいか、そして未来に向けて何を考えたらいいのか」がいちばん重要だと思います。
先生は、これだけの年月をかけて戦争と向き合ってこられ、さきほど、ちらっと「戦争は簡単に起きる」とおっしゃいましたが、なぜ戦争が起きるとお考えでしょうか。そして、どうしたらそれを防げると考えますか。

大石芳野さん
起こる前に防げれば、いちばんいいんですけれどもね。
やっぱり、人々の無関心が戦争を起こす結果になっていくと思います。
ベトナム戦争は、アメリカが「共産主義は敵だ」と言って太平洋を渡ってやってきたわけですが、そういう戦争はなかなか防ぎようがないかもしれませんが、日本の戦争とか、今回のロシアとウクライナの戦争とか、いろいろな戦争がありますけれど、一般的な戦争は違います。
日本だって、胸に手を当てて過去を考えてみると、みんなが意識をきちんと持っていれば、満州の戦争も起こらなかったはず。満州で戦争をしなければ、太平洋戦争にはならなかったはず。けれど、みんな浮かれちゃって、なんだかその日暮らしをしているうちに、戦争になっていった――抽象的ですけど、そう思います。
結局、私が言いたいのは、ひとりひとりが意識を持って、緊張感を持って、「何かちょっとおかしいな」と思ったら、すぐに声を上げるということです。
いま、日本は平和です。隣の国ロシアは、西の方では戦争をしていますが、東の方には来ていませんから、隣の国でありながら、日本は今、平和です。でも、いつまで続くかわかりません。
いつまでも大丈夫だと思っている、その安心感が戦争を起こすと思うんです。

■不安を抱いたら、声を上げる

政治は、政治家がきちんとやってくれているんでしょうけれど、ちょっと心配ですよね。沖縄はどうなっているんでしょうか。本当に穏やかな島々です。でも、先島諸島などは住民が非常に不安を抱えています。「防衛しなきゃいけないんだから仕方がないんだ」という声にやられてしまっている。でも、本当にそうなのかを、沖縄だけの問題にしないで、沖縄の人たちだけに任せないで、私たちもみんなで意識を持つことが大事だと思うんですよね。
「戦争反対」と言うと、何か「政治色がある」と言われたり、「特殊な政党に何か感化されてるんじゃないか」と言われることもあります。めげてしまいます。しかしそんなことにめげないで、意識をきちっと持って、声を上げることが大事だと思います。
政治家に任せておいて安泰ならいいのですが、いま政治家に任せっきりで、国会に、政府に任せっきりで大丈夫なんだろうかという不安を、私たちは持ち始めてしまった、そういう状態です。
ウクライナ以降、特にそうした状態ですね。具体的にどうすれば良いのかは分からないですが、ひとりひとりが「戦争はダメだ」という意識を持たなかったら、ぼーとしていたらダメです。
新聞の「声」の欄にガンガン投書を出すとか、テレビはチャカチャカしたものとか、ほんわかしたものが多いですけれども、そういう中でも、やっぱりゲストの人には何かバチッと言ってもらう、ピリっとしたことを言ってもらう。そういう状況をみんなで作っていくことじゃないでしょうか。
それこそ日本人が大好きな「風を読む」「空気を読む」ような、そういう空気を作っていくのが大事だと、私はずっと思っています。

■戦争は一度起きたらずっと続く

私がなぜこういう写真を撮っているかというと、戦争が一度起こったら、その人が死ぬまで、あるいは死んだあとも子どもや孫の一生が終わるまで、ずっと戦争が続くからです。
戦争はずっと続いてしまうから戦争をしてはいけない――このことを誰もが肝に銘じてほしいです。
戦争は政治の暴力です。暴力でガーとやる前に、手を差し伸べて握手をするとか、会話をするとか対話をするとか、それが外交ですが、そうした運びになるような空気を、日本中が作っていくっていくこと、そういう風を吹かせていくこと――私たちひとりひとりにできることは少ないけど、風のひとつになることが大事じゃないかなと思うんですね。

【次の会場の方からは、写真で紹介された武蔵野市の方が、今朝も元気でしたという、報告があり、場内はなごみました。】

■骸骨の山を見ていた子どもたちはどう育っているのか

会場の方3
東京新聞に、吉永小百合さんと香川京子さんの『ひめゆりの塔』のお話が載っていました。監督から、「こういう映画に出演する以上は、自分の役の経緯とか背景を全部勉強してから演技してくだい」と言われたそうです。その言葉にすごいインパクトを感じました。
今日の写真も、言葉よりも感じることが多かったです。私たちは経緯を経験していないのに、これだけ感じたのに、あのポル・ポト政権の骸骨の山を見た子どもたちはどのように育っているんでしょうか。

大石芳野さん
それは人によって違いますから、私が言える立場にはないですね。
あの子たちについて話すには、カンボジアのことをいろいろと説明しないとなりませんが…一言で言えば、非常にトラウマを抱えています。
たとえば、死体がいっぱいあると、死体に慣れてしまうんです。あの取材をさせていただいた方たちも、たくさんの死体や白骨遺体を見ています。「いまではおかしいけど、踏んだこともあった」と言っていました。日本の人もです。
そこにいるとその状況に慣れてしまう。それは人間の、ある意味での強さかもしれませんが、問題は、それから何十年も経ってから、それが記憶の中でその人を蝕んでいくことだと思います。
頭蓋骨を見ている子どもたちもさることながら、頭蓋骨にさせられてしまった人たちの遺族たちの悲しみは、本当に何度聞いても胸が詰まります。
何かがあると、それは残ってしまう。だから、そういうことを起こさないで欲しいと思っているんです。

■活動をしていても通じないことで虚しくなることは

会場の方4
平和を願うことは、政治思想とはまったく別のことだと思います。
それでも、この活動をやっているのを邪魔されるというか、圧力を受けるようなことは、最近でもあるんでしょうか。
こういう活動をしていても、なかなか通じないなという虚しい思いみたいなものは感じていらっしゃいますか。

大石芳野さん
通じない…… ここにいる方たちには通じているかもしれませんが……やっぱり通じないもどかしさは…… まあ、通じていたら、こういう世の中にはなっていないですね。
だから、「この写真を誰にいちばん見せたいか」と問われたら、「岸田首相に見てもらいたい」と、思っています。
分かっている人ばかりではなく、分かっていない人も見て共有しあいたい。そして意識を広げていきたいと思いますね。そのために、私の仕事はあるのかなと思っているんですけど。

松下玲子さん
平和を願う活動なのに党派性があるんじゃないかと批判されるようなことは、いまもありますか。

大石芳野さん
それはもう、人さまざまでね。ありますよ。いや、それを言い出したら、ちょっとね、よくないですね。
過去にはそういうことがたくさんありましたけれど、大事なのはそういうことに惑わされないこと。党派性があったっていいんですよね。日本は党派がある国で、別に地下活動をしているわけじゃないんですから。自民党から共産党まで全部、おもての政党ですから、何だっていいんです。
だから、そこに惑わされるというのもまた変な話でね。
ようは、私たちが安心して暮らしていける、そして人権を守ってもらえる、守っていける、ということじゃないですかね。

■人間はネジではない

戦争は、いちばん人権を阻害されることです。命がさっきの「石の声」じゃないですけど、石のようになってしまうのが、戦争ですよね。
私が最初にソ連に行ったときに、モスクワの車道にスローガンが大きくかかっていたんです。ロシア語で書いてあったので、通訳の人に訊いたら、「人間はネジではない」という意味でした。ゴルバチョフのときです。
何のためにソ連に行ったかというと、ゴルバチョフが大統領になるというニュースを聞いて、「え、あの国に大統領制ができるの?」とびっくりして、ゴルバチョフが大統領になる瞬間を撮りたいと思って行ったんです。もちろん撮れました。
そのときに、「人間はネジではない」というスローガンを見て、ということは、それまではネジとして扱われてきたことだと思いました。
それ以降、日本に帰ってきても、「私たちはネジじゃないのよ」と、よく言うんです。

◾️壊れそうな人の心に近づきたい

戦争は、いちばん人権を阻害されることです。命がさっきの「石の声」じゃないですけど、石のようになってしまうのが、戦争ですよね。
私が最初にソ連に行ったときに、モスクワの車道にスローガンが大きくかかっていました。ロシア語でしたから、通訳の人に訊いたら、「人間はネジではない」という意味でした。ゴルバチョフのときです。
何のためにソ連に行ったかというと、ゴルバチョフが大統領になるというニュースを聞いて、「え、あの国に大統領制ができるの?」とびっくりして、ゴルバチョフが大統領になる瞬間を撮りたいと思って行ったんです。もちろん撮れました。
そのときに、「人間はネジではない」というスローガンを見て、ということは、それまではネジとして扱われてきたことだと思いました。
それ以降、日本に帰ってきても、「私たちはネジじゃないのよ」と、よく言います。

◾️壊れそうな人の心に近づきたい

会場の方5
大石芳野さんの富山県高岡市での写真展を見に行きました。
https://www.camerakan.com/exhibition/r05oishiyoshino/
【大石芳野写真展「戦世(いくさよ)をこえて」戦争は終わっても終わらない
高岡市 ミュゼ福岡写真館】
あの場所(写真展会場)は、戦争反対の「聖地」だと思うんです。だから、ぜひみなさんに見ていただきたいです。
今日の、大石芳野さんのコメントは非常に冷静で、圧倒される写真と絡み合っていると思います。写真を見せていただいて、そのときのお話を伺っているうちに、なにか胃が痛くなってきました。それならば、撮った大石さんはどうだったのだろう、と思いました。撮るときに、うろたえたことはなかったのか、シャッターを切れなかったことはなかったのか、大石さんはどういう精神状態だったのかを知りたいと思いました。
冷静でいらっしゃるから、うろたえることはなかったかもしれませんけど。

大石芳野さん
富山県までいらして下さり、ありがとうございます。遠いのに、嬉しいです。
180点飾ってあるので、それを見ていただいたのでしたら、大変なエネルギーを持っていらっしゃいますね。ありがたいです。
ご質問については、そうですね…撮る相手によってそれぞれ違います。いろんな人がいます。楽しい人もいれば、本当につらくて、心が壊れそうになっている人もいます。とりわけ、壊れそうになっているような人の場合は、できるだけその人の心に近づきたいと努力します。もちろん、近づけないんですけど、なんとか努力します。
その人の話してくれたこと、その人を取り巻く家族とか家とか環境、社会とか国とか、そういうものを考えます。そして、いま私のレンズの前にいるその人を、どうしたら、写真を見る日本の人たちに伝えることができるだろうと、いつも悩んでいます。
簡単にシャッターを切って、パチッと撮れることは、滅多にありません。だいたいが、こちらも何か苦しくなってきます。そういうときに、私が自分に言い聞かせているのは、「お前(私のこと)は苦しくなんかないんだぞ、あの子の方がよっぽど苦しいんだぞ、なんでお前が苦しまなきゃいけないんだ」ということです。だから、その子、その人を十分に撮りきれないまどろっこしさは、いつもあります。私は本当に私の感じているこの人を撮れただろうかと、いつも思っています。いつもいつも、「ああ、撮れなかったなあ」と思ったりします。なかなかできませんが、なんとか、近づきたいと思ってシャッターを切っています。富山まで行っていただいて、こんなご質問もくださって、本当にありがたいです。

松下玲子さん
著作の『わたしの心のレンズ』(集英社インターナショナル発行)のなかで、大石さんは「人間とは何なのか。戦禍をくぐり抜け、生き延びた人たちの瞳の奥から言葉から、人間とはという問いを突きつけられる」と書かれていらっしゃいます。
大石さんがレンズを向けているときの気持ちなど、その場面ごとに書いてくださっていますので、ぜひ、この本もご覧いただければと思います。

大石芳野さん
今日は、本当に熱心に聞いていただいて、写真を見てくださって、質問をしてくださって、本当にありがとうございました。嬉しい限りです。これからも皆さんと繋がっていけたらいいなと思っています。よろしくお願いします。

最後に、武蔵野政治塾事務局長・橘民義からの挨拶がありました。

武蔵野政治塾は、ここ武蔵野に始まって、いろんな所でも開催しています。先日は九州、鹿児島へ行き、鈴木エイトさんにお話しいただき、盛り上がりました。8月には岡山へ行きます。
こうやってたくさんの人に集まっていただいて、本当に心から感謝を申し上げます。
大石芳野さんは、私が2016年に『太陽の蓋』という映画を作ったときに応援していただいて、それからのご縁です。私は弟分です。ある人からは「恋人みたいですね」と言われたこともあります。大石さんのことが気になって、何でもやります。どこへでも行きます。「追っかけ」みたいです。銀座だろうが、もちろん、長崎へも行きました。
大石さんがどこかで何かをやるとなったら必ず行って、一緒にいろんなことをやっていく、そういう仲なんです。

■夏は「戦争反戦」と、どうしても言わなければならない

夏は日本では「反戦」と、どうしても言わなければならない季節です。そこで、私たち武蔵野政治塾は、大石芳野さんに来ていただいたわけです。
大石さんは、テレビにもたくさん出ています。去年、NHKのE TV特集で「女たちの戦争画」という番組がありました。画家の長谷川春子さんが戦争中、「女性も一生懸命に国内において働かなければならない」という絵を描いたんです。今から考えたら、描かされていたんですが、一生懸命描いたわけなんです。そのときに三岸節子さんは、あまりいい気持ちを持たなかったら、非国民だと言われたとか、そういう戦争中に女性たちが絵を描きながらも、いろんな対立をしたことを描く番組でした。そこに大石さんも出て、絵を見て、いろんな感想を述べられていました。
私はその番組を見ていろんなこと考えました。皆さんもお時間があったら、去年の8月に放映したETV特集「女たちの戦争画」をぜひ見ていただきたいと思います。

今日は「戦争」がテーマでした。大石さんは岸田さん(首相)に見ていただきたいとおっしゃってましたけど、岸田さんに「あなた、戦争したいんですか?」と言われたら、多分、「ノー」と答えると思います。そして心の中でも、多分「ノー」だと思います。自民党の中で本当に戦争をしたいと思っているのは、よほどのタカ派で、本当に戦争をしたい人はいないんじゃないですか。だけど、なんか、こう流されていく。
大石さんの言葉の中でいちばん印象的だったのが、「人は慣れてしまう」です。軍備を増やして、軍事大国になっていって、何かちょっとしたことで、参加しなければいいのにちょっと参加してしまい、それでどんどん行ってしまう。
その「慣れ」が、いちばん怖いんだと私は思います。だって、日本軍がアジアに進出していろんなことをやったけど、そのとき冷静に考えたら、人間が人間に対してそんなにひどいことは、しないですよ。
だけど、何か酷いことをするという状況に人間が変わってしまって――違うかもしれませんけど――戦争になっていったんですよ。
そんな単純なものではなくて、経済の問題だったり、資源が足りないとか、ものを売るのにあの国は邪魔だとか、そういうこともあると思います。
しかし、やっぱり「人が人でなくなる」ような、「慣れ」とか、冷静さを失うものは、あってはいけないんじゃないかと思います。

そして、それを止めるのは政治じゃないかなと思います。
岸田さんがいくら軍備を2倍にしたとしても、中国の3分の1でしかないんですよ。それに何の意味があるんですか。それなのに、なぜ2倍にするんですか。それで防衛できるんですか。トマホークなんて、全然役に立たないんですよ。それなのに、アメリカの2倍の値段で買うんですよ。そんなことをして、本当に平和を守れるんですか。
政治家の皆さんのなかには、わかっていてしょうがなくやる人もいれば、絶対ダメですと言う人もいるわけです。
私たちの歴史は、ずっと戦争を繰り返してきています。だけど最後までダメだ、ダメですと言い続けなければいけない。
最後までいつまでも言い続けたいと思うし、皆さんにも、もし共感できたら、一緒に言う方の立場になっていただきたいと思います。

Send this to a friend