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NEW!!【活動報告】第22回「『やさしい猫』を書いて知った入管問題」講演篇

中島京子さんは、東京都生まれ。東京女子大学を卒業後、出版社に勤務し、女性誌編集者を経て渡米されました。帰国後、2003年、『FUTON』で小説家デビュー。2010年、『小さいおうち』で直木賞を受賞されました。
本日は「『やさしい猫』を書いて知った入管問題」と題して、この小説の背景にある理不尽な実情を語っていただきます。

■テレビドラマにもなった『やさしい猫』
『やさしい猫』という小説を書いたことで、いろいろ考えたこととか、知ったことがありましたので、そのことについてお話しします。
『やさしい猫』は、NHKでテレビドラマ化されまして、今年(2023年)の6月から7月に全国放送されましたので、それをご覧になった方もいらっしゃると思います。小説がテレビドラマになったのは初めてでしたので、私にとっても、感慨深いドラマでした。
読んでない方もいらっしゃると思うので、少しだけ『やさしい猫』がどういう小説かを説明しながら、そこにある入管の問題についても触れていきます。

■日本人シングルマザーとスリランカ出身の青年の物語
『やさしい猫』は、日本人のシングルマザーが、スリランカ出身の青年と出会って恋愛して結婚して、という話です。
シングルマザーの娘が「マヤ」ちゃんで、このマヤちゃんの視点で小説は書かれています。
お母さんである「ミユキ」さんと、お母さんの恋人となる「クマラ」さん。そして、スリランカ人の「クマ」さんが登場します。クマさんは「クマラ」さんという名前ですが、ミユキさんもマヤちゃんも「クマ」さんと呼ぶようになります。
ミユキさんとクマさんが出会うところから、始まります。2人は東日本大震災のあとにボランティアで出会うという設定です。こうしたのは、実際に震災後、スリランカの方がすごく早く動いて、カレーの炊き出しをやった事実があるからです。
あのときは、スリランカ以外の在留外国人の方が、たくさんボランティアで炊き出しなどの支援をしました。その事実を背景のひとつにして、それできっかけで2人は知り合い、1年後に地元で再会して、だんだん仲良くなるんです。
いま、「だんだん仲良くなる」だけですませましたが、そこが小説家としては書きどころと言いましょうか、だんだん親しくなっていく恋愛小説の部分は、すごく大事に書いたつもりです。
この2人が結婚することになります。ところが、スリランカ青年のクマさんが働いていた工場がつぶれてしまい、職がなくなってしまう。一生懸命、仕事を探すのですが見つからない。そのうち、労働ビザをもっていたのですが、その在留期限が切れてしまうんです。そこからいろんな問題が起こります。
結婚は市役所に届ければできるんですが、在留資格を、労働ビザから配偶者ビザに切り替えようとしてしても、うまくいかない。いろいろと困難なことが起きます。
クマさんが入管――正確には「出入国在留管理庁」という長い名称です――東京入管へピザの申請に行ったとき、品川駅で警察官から職務質問を受けます。クマさんは、「いまから入管へ在留資格の相談に行くところだから、行かせてください」と言うんですが、「とにかく在留カードを見せろ」と言われます。
在留カードを見せると、「期間が切れているじゃないか、不法滞在だ」ということになって、警察に連行され、そこから入管へ移送されて、収容されてしまう。
そこから、家族の戦いが始まります。
私自身、これまで、そういうことにまったく知識がありませんでした。
小説の主人公たちも何も知らないという設定ですから、最初は驚いて、でも何かの間違いで1週間ぐらいしたら出てきて、一緒に生活できるんだろうと思います。でも、全然そんなことはないんです。
審査の結果、退去強制令――在留資格がないんだから日本から出て行ってくださいという命令が出されます。入管収容が続き、主人公の家族は、退去強制令取消訴訟を起こします。
この小説の結末は、読んでくださった方はご存知だと思いますし、この場で結末まで言ってしまうのは、著者としてどうなのかと思いますので、イントロはここまでにします。

■なぜ入管問題を小説に書いたのか
私がどうして入管の問題に関心を持ち、これを題材に小説を書こうと思ったかをお話しします。
『やさしい猫』は読売新聞の夕刊に、ほぼ1年10カ月ちょっと、連載されました。
新聞連載は、結構早くオファーが来るもので、5年くらい前に、連載することが決まっていました。でもその5年前に、何を書くかまで全部が決まっているわけではありません。
2020年から連載を始めましたが、たしか2017年に、友だちが、SNSで牛久の入管で亡くなったベトナム人の話をアップしたのを読みました。同室だった方が書いたお手紙みたいなものを写真に撮って、それをどなたか支援の方がアップしたものでした。同室のベトナム人が苦しんでいて、「救急車を呼んでくれ」と周りの人がみんな言って、本人も苦しんでいるのに、呼んでもらえなくて、翌日、亡くなった。そんな内容でした。
たしか、くも膜下出血でした。後で弁護士さんに聞いたところ、2週間ほど前に兆候があったそうです。そのときに対処してれば、亡くなることはなかったという状況だったらしい。
私は入管の収容所があることもよく知らなかったので、これを知って、ものすごいショックを受けました。よく分からないけど、入管が国の機関であるのは確かなわけだから、国がやっている機関で、ひとが救急車も呼んでもらえないで亡くなるなんてことがあるんだろうかと、ものすごいショックでした。
でも、このときは小説に書こうとは思いませんでした。いままで知らないことだったので驚いたわけです。
それ以来、その友だちの出している入管についての情報を読むようになりました。
その友だちは弁護士さんですが、英会話教室で知り合った、本当にただの友だちなんです。その弁護士さんが、入管の被収容者の代理人もしていて、時々、その情報をアップしていたんです。
2018年になると、再来年ぐらいに小説を書き始めなければならなくなり、これを題材にしてみようかと考えるようになりました。
新聞連載なので、私のことをよく知っているわけではない方が、読まれるわけです。そう考えると、新聞の使命として、多少、社会性がある題材がいいかなと思いました。
けれど、入管施設で人が亡くなりましたなんていう小説を、自分で書けるとは思わなかったので、しばらくは、どうしようかなと考えました。
そのうち、友だちがアップしてくれる情報のなかに、こういう話がありました。
恋人が日本人という、在留資格のない外国籍の男性がいました。その恋人が病気になってしまったので、彼は大急ぎで駆けつけるんです。その外国籍の男性は「仮放免」という待遇でした。これは「一時的に収容を停止し、一定の条件を付して、身柄の拘束を仮に解く制度」です。収容はされないで、外で暮らしていますが、いろいろと制限があるんです。その制限のひとつが、住んでいる都道府県から外へ出てはいけないというもので、県境をまたぐときには、入管の許可がいるんです。
その男性の恋人は、隣の県に住んでいたのですが、病気という緊急事態なので、彼は入管の許可を取らずに、県境を超えてしまった。それが何か記録に残っていたんだと思います。
仮放免は、1か月とか2か月に1回、入管へ行って申請して許可してもらうんですが、次の申請に行ったとき、県境を超えているということになって、収容されてしまいました。
この話を読んだときに、恋人の話とか、家族の話とか、そういう話としてだったら、入管を題材として扱えるかもしれないなと思い、今度の新聞小説はこれでいこうと思えた最初でした。

■オリンピックが近づいて、入管はひどいことに
友だちの弁護士さんに話を聞くようになりました。そして彼女が「自分でもいいけど、もっと詳しい先輩弁護士がいるから」と、弁護士さん2人と行政書士さん、元・入管職員さんなど、5人、集めてくれたんです。この人たちには、連載中もものすごくお世話になりました。全ての情報を提供してくれました。この人たち5人は、全員、小説のなかに、何らかの形で出てきます。
そんな感じで取材を始めたのが、2019年で、2020年3月か4月に書き始めました。
とにかく、取材をしなければいけないと、弁護士さんにくっついていく形で、東京入管に1回、牛久に2回、行きました。本当はもっと行くつもりだったんですが、コロナで行かれなくなったんです。その取材で会った方々に、私は衝撃を受けました。
2019年は入管収容の歴史の中で、本当にひどい年だったんです。もうすぐオリンピックがあるからと、社会の不安材料としての在留資格のない外国人を、なるべく収容するという、訳のわからない方針を立ててしまって、仮放免を出さない方針になったんです。
2016年から仮放免をなかなか出さない方針となり、2018年は、よっぽどひどい病気や怪我でない限り、収容を解かない状況になっていました。2年後がオリンピックだからです。
入管の中で、そういうお達しが出たのが2018年で、みんな外に出たいのに仮放免すら出ない。皆さんは、もう他に手段がないので、ハンストを始めました。それが2018、19年の状況でした。
長崎の大村入管では餓死された方も出ました。ハンストは、お医者さんがつかずに自分だけでやってしまうと、途中で本当に食べられなくなってしまうそうです。それで、餓死された方も出た。そんなハンストでした。
そんなことがあっても収容を解く話はなく、どんどん増え。ハンストをした人のなかには、食べたくても食べられなくなる人もたくさん出たといいます。

■入管施設で出会った人びと
私は入管には3回しか行っていないし、会った人も全部で9人なんですが、そのうちの3人が車椅子なんです。それはすごいショックでした。食べないので動けなくなり、流動食しか受け付けない。
東京入管で会ったアフリカ出身の女性は、会う前日に自殺未遂をされていました。衝動的に洗剤を飲んだそうです。いつもいつも死のうと思っているわけではないんですが、つらいので、突発的に、これを飲んだら楽になると思う瞬間があって、それで飲んでしまったと言っていました。初めて会った被収容者の方だったので、大きなショックを受けました。
日本で育った20代の若い、南米の男の子とも会いました。他の被収容者より元気で、自分の境遇を、国連の人権委員会などに訴えることを一生懸命にやっていて、それをモチベーションにして収容生活を耐えている感じでした。
彼は成田空港で捕まって、難民申請をしたんですが認められなくて、すぐに入管に収容になったそうです。要するに、日本の地を一度も踏んでいない。収容されて1年か2年でした。
その日は、弁護士さんが辛そうでした。仮放免を楽しみにしている彼に、仮放免が出なかったと伝えなければならなかったからです。伝えると、手が震え、目はどこを見ているか分からない状態でした。
そういう方たちにお会いして、非常に大きなショックを受けました。
その頃は、勉強してはいましたが、頭に入っていないから、「何か聞くことがありますか」と言われても、何を聞いたらいいか分からなくて、「日本にどうして来たんですか」のような、大変愚かしい質問をしてしまいました。
「別に自分が選んだわけではないけど、とにかく逃げなければならず、用意された航空券が日本行きだったから」と、淡々と話してくれました。

■小説のモデルになった人物
いろいろな方に会いました。収容の方だけでなく、仮放免の方、もう在留資格は取れたという方からも、いろいろな話を聞きました
それは、結構、あの小説の中に何らかの形で出ています。
たとえば、日本で育ったティーンエイジャーがいるんですが、その子は在留資格がないんです。なぜかというと、両親に在留資格がないからです。そこで仮放免という形で学校に行っているんですが、中学で修学旅行に行き、その次に入管に仮放免の手続きに行ったとき、修学旅行で県境をまたぐ届けを出していなかったので、ものすごく怒られて、泣いたという話でした。こういう話も小説のなかに入れました。
傍聴した裁判の話も、入れました。辛い話が多かったんです。
サハリさんというイラン出身の、難民申請をしている方がいて、いまも在留資格は取れていないんですが、仮放免となり外で生活している人がいます。最初に会ったときは車椅子だったので、ショックでしたが、いまはお元気です。
その人は入管施設の中で、みんなでパーティーをして、部屋にある電気ポットでお料理をしていました。入管のまずい食事をアレンジして、少しでもおいしく食べられるものに変えるかに、すごく熱心なんです。
ポテトチップのアルミの袋のなかに、入管が出す冷え切ったチキンとスパイスをいっぱい入れて、電気ポットに入れると、温まって美味しくなるそうです。一緒に暮らしている人たち全員分を作って、みんなで食べたそうです。サハリさんとは別のところで取材した中国籍の人からも、あれは美味しかったと聞きました。
入管施設は、外から見ると、人間性を奪おうとしているように見えます。窓がなく、あっても、すりガラスで外が見えないそうです。それではおかしくなります。だいたい、みなさん、入ると拘禁症状みたいなのが出て、病気になってしまう。でも、お医者さんには見てもらえないから、入管の医師が処方する薬を飲んでいるんです。みな、ものすごくたくさん薬を持っているんですが、お腹が痛くても頭痛薬が出るみたいな話です。痛いと言えば頭痛薬という大変な状況で、それもショックでした。
辛い話話ばかりです。とにかく、そういう取材をして書いた作品です。

■入管でひとが亡くなっても、記録もない
小説を書き書き終わったのが2021年3月でした。このとき何が起きたか、皆さん御存じですか。
ウィシュマ・サンダマリさんが名古屋の入管で亡くなったんです。そのとき、新聞連載はほとんど終わりかけていて、一番最後裁判のシーンを書いていましたが、本当にショックでした。
最初に話したように、私がこの問題に最初に関心を持ったのは、収容施設で亡くなる方がいると知ったことでした。それから、弁護士の先生にいろいろと教えてもらい、自分でも調べていましたので、入管で自殺や病気、餓死などで、亡くなる方がいることは、知っていてたんです。
でも、それはなんとなく過去の話のように勝手に思っていたので、小説を書いているときに、スリランカの女性が入管施設で亡くなったのは大きなショックでした。
調べていると、「2007年以降、入管で亡くなった人は18人」という統計というか数字をよく見るんですが、なぜ2007年以降なのでしょうか。実は、2007年より前は亡くなった方がいないのではなく、記録がないんです。これもすごくショックでした。
何がこういうことの背景にあるのでしょう。

■問題の根底には外国人差別と人種偏見
やっぱり、この問題は、外国人差別、人種偏見だと思います。外国人は嘘つきだというような偏見です。
小説の中では、クマさんとミユキさんは「偽装結婚」と言われ、クマさんは収容されてしまうんです。「外国人は嘘をつく」という確固たる偏見が、私たちの国の行政を支配しているように、思います。
ウィシュマさんは「詐病」を疑われました。ウィシュマさんは「辛いから、病院へ連れて行ってくれ、点滴を打ってくれ」と何度も訴えたんですが、「そう言えば入管から外に出られると思って、騙しているんだろう」という感覚が、入管の職員にはあって、出さなかった。
「詐病かもしれない」とお医者さんに言ったという記録があります。
詐病で人は死にません。ウィシュマさんは偏見の犠牲になって死んだと思っています。この国の行政の根底に差別があるのが、本当に怖いです。
ウィシュマさんのビデオを見たとき、ものすごく辛かったです。
もうひとつショックだったのは、ウィシュマさんの件での入管の報告書です。厚いものでしたが、内部調査の報告書なんです。「内部調査」ということが、非常に問題だと思います。外部からの調査が入るべきだと思います。その報告書によると、ウィシュマさんは仮放免を希望していましたが、却下されます。その理由として、「退去強制令が出ている立場を思い知らせるため」と書いてあるんです。
「立場を思い知らせるため」。すごいなと思いました。それは、ある意味、収容を拷問として使っているわけです。
そういう発想を根こそぎ変えてほしい。

■ウィシュマさんはなぜ収容されたか
ウィシュマさんが収容されたのは、2020年8月です。そのころはもうコロナがはやっていて、入管は「3密」でしたから、クラスターが出ていました。そこで、こんな所に収容しておくのはまずいと、それまで仮放免を出さなかった入管も、さすがに外に出し始めていました時期です。
だから、あのときにウィシュマさんを収容したのは、すごく変なんです。いまでも、どうして収容したのか、よくわからない。
ウィシュマさんが仮放免申請するのは12月なんですけど、その頃には、出ている人はいっぱいいたと思います。それなのに出さなかったのは、意図的に、「この人は出さない」と決めていたからです、そのことがやっぱりすごく恐ろしいと思いました。
こんなことは2度と起こらないで欲しいと思っています。

■知られていない問題を小説にする難しさ
この小説を書く上で大変だったのは、何にも分からないことでした。
最初は「収容」とか「仮放免」など、言葉の意味すら分からなかったので、ひとつひとつ解説してもらったり、本を読んだり、レクチャーを受けたりして調べました。
そういうことを小説として読めるようにするのが、すごく大変でした。そこで、マヤちゃんという女の子を語り手にして、そのマヤちゃんが内容を理解して読者に説明するとか、あるいはマヤちゃんが分かるように大人が噛み砕いて説明するという方法で書けば、説明臭くしなくても、ちゃんと頭に入るように書けるだろうと思いました。
そういうわけで、勉強しながら書いていきました。

■仮放免の問題点
仮放免には、「移動の制限」以外にも、問題があります。
ひとつが「就労の禁止」です。働いてはいけないんです。それだと、健康保険に入れず、生活保護を申請できない。どうやって生きていけばいいのか、全然分からない。
お金がなければ生活そのものが成り立たないし、病気になっても病院にかかれない。
だから、支援の方とか日本人と結婚していれば家族とか、そういう人に助けられて生きているんです。
解体の仕事など、入管が黙認しているものもあるようなんですが、黙認ですから、いつ「駄目だ」「不法だ」と言われるか分からないので、常に緊張を強いられていると思います。
親が仮放免だと子どもも仮放免になります。子どもの権利条約もありますので、義務教育だけは受けさせていということになっていて、子どもたちは普通に公立の小学校や中学校に行っています。
でも、在留資格のない子は、中学を卒業した後はどうなるのか。お金の問題があるし、在留資格のない子は受け入れてくれない高校もあるので、将来を思い描けない。そういう、すごく辛い状況に子どもたちは置かれています。
入管に2か月に1回行っては、「帰れ」と言われるわけですが、どこへ帰るのか。子どもにしてみれば、親の母国は、行ったこともないし、言葉も分からない所なんです。
小説の中では、マヤちゃんが好きになる、クルド人のハヤトくんという男の子を登場させて、そういう状況を書きました。
大人も辛い状況なんですけども、子どもはもっと辛い。別に自分が選んで日本に来たわけでもないし、日本で生まれたくて生まれたわけでもない。日本で育っているので日本語しか話せない。自分の言葉は日本語しかなくて、頭で考える言葉だって日本語です。
そういう子たちを、追い出そうという発想は、ひどいと思うんです。

■在留特別許可が出るそうだけど
2023年8月に、当時の法務大臣の齋藤健さんが、仮放免の子どもとその親に、在留特別許可を出す方針を打ち出しました。
日本生まれで、日本育ちで、就学年齢に当たり学校に通っている子どもは200人ほどいますが、その7割ぐらいの子に在留特別許可が、親も含めて出ると言われています。
これが出されれば、日本の入管行政の中では、一番大規模なアムネスティ(恩赦)になるそうです。これはやってくださいと、思うんですが、それでも解決しませか。
その恩赦から漏れてしまう子もいます。たとえば親に犯罪歴・前科があると在留許可が出ないとか、そもそも、18歳以下という制限があるので、19歳だと出ないんです。
小説に出てくるハヤトくんは、小説の中では2018年に17歳でした。すると、いま(2023年)、彼はもう20歳をこえているので対象年齢ではなくなっています。
日本生まれではないけど、1歳で日本に来た子はダメだし、未就学児もダメと、いろいろな制限があります。それも、ちょっとどうかと思います。

■新しい入管法の問題点
2023年6月に新しい入管法が通ってしまい、2024年6月に施行されます。
いま話した仮放免の子どもたちに在留特別許可が出るのは、新入管法が適用されるまでの特別措置と言われていますので、6月を過ぎたらどうなるのかなど、いろいろな問題を含んでいます。
確実な数字は聞いていませんが、いまのとみろ、在留特別許可が出た話は新聞に載っていますが、まだ数件のようです。これから出していくんだとは思うんですけれども、少ない。
その枠から漏れてしまった子をどうするのかなど、いろんなことを議論していく、プッシュしていく必要があると思います。
私がこの入管の問題に関心を持つようになってから、入管法改正は2回審議されました。
1回目はウィシュマさんのことがあり、いろいろな方が関心持ってSNSでもずいぶん話題になったこともあり、廃案になりました。
でも、2023年になって、ほぼ同じ法案が出され、みんなで反対したんですが、通ってしまいました。ショックでした。
今の入管法の大きな問題のひとつは入管収容に期限がないことです。「無期限収容」が可能なんです。なにか無期懲役みたいな響きですが、亡くなった方は、ある意味では死ぬまで収容されていたわけです。7、8年も収容されている方がいらっしゃいます。
諸外国、とくに先進国では、3か月とか6か月とか期限がある場合が多いんです。長期収容はそれ自体が拷問で人権侵害だと、国連の人権機関が何度も日本に勧告しています。
私の素人考えではあるかもしれませんが、入管法を改正するのであれば、このことを真っ先に変えるべきであろうと思うんです。
退去命令が出た人は、基本的に収容するという、「全件収容主義」も、すごい話だと思います。収容を決めるのは入管で、裁判などはまったくない。だから、行政判断だけで、その人を収容すると決めています。日本のように入管収容に期限がない国もありますが、そういう国でも、司法による審査がある国がほとんどです。
日本の入管はフリーハンドで収容を決めることができ、しかも無期限に収容できる。こんなすごい権限はありません。それはもう、ひどいと思います。
時々、「前科がある、犯罪歴があるから収容されるんだ」と言う人もいますが、犯罪歴には、入管法違反も含まれています。たとえ傷害事件などで服役した人がいたとしても、服役後も身体拘束されることはありません。でも、入管の場合はできてしまうんです。
日本社会が前科のある人に対して冷たいのは、外国人であろうとなかろうと同じかもしれませんが、「前科があるから拘留」というのは、戦時中の治安維持法と同じです。この人は犯罪を犯す可能性があるから拘留するというのは「予防拘禁」だから、やってはいけないことだと思います。
入荷の問題にも詳しい児玉晃一先生という弁護士さんに教えていただいたんですけども、治安維持法だって裁判はあったわけです。私たちは、それよりも何重にもひどい制度を持っているという思います。
もうひとつの問題は、難民の審査をする独立した機関がないことです。
収容に期限がないこと、収容に司法が関与しない、難民審査を独立した専門機関がやっていない――この三つを解決していけば、入管の問題が多くは、こんなひどいことにならないと思いますが、今回の入管法改正では、そういう点には何も手はつけられていません。

■難民申請3回目以降は強制送還が可能に
入管法改正の審議で一番話題になったのが、難民申請3回目以降の人は強制送還を可能になる点です。そんな法案が出され、それが通ってしまった。
どういうことかと言いますと、いままでは難民申請をしている間は強制送還をされないという、法律のたてつけでありました。いままでと言っても、それが入管法に定められたのは、たしか1990年代と聞きました。それをまたとっぱらって、帰せるようにするんです。
要するに、「難民申請中だ」と嘘をついて、何度も申請して日本に留まろうとする人がいるので、強制送還を可能にするというわけです。
それは、偽装結婚とか詐病だと決めつけるのと同じで、「難民申請していると言うけど、ウソをついているのに決まっている」という偏見が背景にあると思います。
もちろん、元入管職員によると、難民申請を何度もすることで、何とか入管法をすり抜けようとする人もいるそうですから、まったくないことはないのでしょう。
けれども、実際には本当に難民の該当性があるのに、日本ではそれが認められないので、何度も申請せざるを得ない人もたくさんいると聞いています。

■牛久市のいい話
入管施設のある茨城県の牛久に、エリザベスさんという女性が住んでいます。その人はアフリカの方なんですけど、日本に32年間いるそうです。たしか、女性器切除から逃げて、日本にいます。
32年のなかでは、働いていたので難民申請をしていない時期も、おそらくあったんだろうと思いますが、いま、2回目の難民申請をしていまして、これが却下されてしまったら彼女は強制送還の対象になってしまう。
日本に32年もいた人を、母国に帰してどうしろというんですか。32年間も外国にいたら、帰っても知っている人もいないでしょう。
彼女は入管に収容された人の支援をたくさんしていて、新聞によりますと、牛久の市議会がエリザベスさんに在留特別許可を求める意見書を国に提出したそうです。
そのニュースに、すごく感動しました。こういう自治体の動きは本当に素晴らしいなと思いました。そこに住んでいて、エリザベスさんの活動をよく知っている人たちが、彼女を帰すわけにはいかないと、意見書を提出したんだと思います。
しかも、それを議会がきちんと決議したのは、国にとっても重い意見書だと思います。
その後を、すごく期待しつつ、見守っています。

■移民の人たちをどうするつもりなのか
難民申請2回目以降は強制送還が現実化すると、川口市や蕨市あたりに住んでいるクルド難民の人たちのコミュニティが壊滅すると言われ、危機感を持って活動している支援の方がいます。
どうして、そういうことをしなければならいのか、本当によく分かりません。
日本は移民の人たちをどうするのか、日本で暮らしている人たちをどうするのか、真剣に考えるべきです。もっと前から考えるべきなんですけどでも、今、ようやく入管のことに気づいた人も増えています。私のような者でも気がついて小説に書こうと思うぐらいですから。
この段階で本当に真剣に、日本をどういう国にしたいのかを考えるべきだと思います。
日本に来て、子どもを育てている人は大勢いるので、本当に一緒に社会を作ってもらうことを真剣に考えないといけないと思います。
日本は賃金もすごく低いし、待遇も悪かったりすれば、外国から来てくれなくなってしまうという問題もあります。

■日本語のできる子どもたちは有為な人材
日本で育っている子どもたちは、ちゃんと日本語を話せますが、これって、ものすごく大変なことだと思います。
私の姉はフランス人と結婚していて、姪と甥も向こうで育てているんですが、しょっちゅう日本に遊びに来てるし、姉が一生懸命に日本語学校で日本語の勉強をさせたので、日本語を喋ります。でも、あまり書けないんです。弟の方は割と勉強好きだから、書いたり読んだりも好きでやっていますが、お姉ちゃんは勉強が嫌いなんで、字はきれいに書けるんですが、あまり書けません。
それを見ても、日本語の読み・書きは相当ハードルが高いんだな、日本語ができるのはすごいと思います。
小説のハムスター先生のモデルになった指宿昭一先生などが、仮放免の子どもの作文と絵の展覧会のイベントをやりまして、私は審査なんかできないんですが、審査員として参加しましたが、みなちゃんと書いていました。
でも、これは当たり前のかなと、ふと考えたんです。多分ご両親は成人してから日本に来ているので、日本語が流暢で、読み書きが達者な方は、あまりいないと思うんです。
ですから、子どもは、親から日本語をならったわけではなく、小学校・中学校の教育だけで日本語を学んで、作文を書いた。そう思うと、すごいなと思ったんです。日本の教育を受けているからと、しっかりとした日本語が書けているのは当たり前みたいですが、なかなか書けるものではありません。
そういう有為な人材を、日本社会は活かすべきだと、この小説を書くために学んだことで、そういうふうに考えるようになりました。

■「外国人」という言葉を使うのをやめよう
小説を書いてる人間として、こういう問題を知って、どういうふうに自分が変わったか、どう考えるようになったかについて、最後に話します。
「外国人」という言葉を、そもそもやめないとまずくないか、と考えるようになりました。
コロナのとき、どこかのホテルだったと思うんですが、エレベーターを日本人用と外国人用に別けるという、とんでもないことが起きました。それを知って、すごくショックを受けました。誰を日本人と呼び、誰を外国人と呼ぶのか、本当に混乱しました。うちの姪と甥はどっちのエレベーターを使うんですか?
そういういろんなことが起きると、やっぱり根本的に、この国ダメだなと思ってしまいました。
入管の問題は、たどっていくと、植民地支配の歴史にまで行き着きます。もっと前、戦時中の内務省から始まっていると言う方もいますが、終戦で日本が植民地をなくしたとき、旧植民地から来てた人たちを、日本国籍に入れないで追い出しました。そのときに、大村の入管ができるわけです。
とにかく日本は、ちゃんとこの問題を考えないと、未来に進めないところにまで来ている感じがします。
『やさしい猫』は、本当に小さな小説ですが、書いていて、この先この国はどういう国でありたいのか、これまでのどこが間違っていたのかを、考えました。
入管法が通ってしまい、失望したんですけども、これからは変わらざるを得ないと思います。
今ある現実を、めちゃくちゃに歪めて、ものすごい人権侵害をしながら成り立たせようとしている社会が、このまま続くわけがない。
法律がどうあれと言うのは編ですが、変わっていかざるを得ない。
だから、この先、どうやって変えていくか。

■『やさしい猫』は、勝手に動き出している
ちゃんとした、きちんとした結びの言葉を考えていなかったのですが、『やさしい猫』という小説を書いたことで、私はいろんなこと、つらいことをたくさん教えてもらいました。いろいろと考えるきっかけをくれました。
そういう意味で、書いてよかったと思います。
小説は、書き終えると小説家を離れます。本屋さんに「行ってらっしゃい」という感じなんです。書いてるときは、我が子を育てているような気ですが、本になると、「さようなら、母は次の子を産みます」という感じです。
『やさしい猫』は、はっきり言って、私を離れています。勝手にテレビドラマになり、今度は舞台になります。
この作品は、いろんなところに届いて、私の意図ではなく、いろんな方にアクションをうながしているらしい。
だから、何とか未来がいい方法にいくための助けに、ちょっとでもなればいいなと思っています。多くの方に知っていただければ、ありがたいなと思っています。
ありがとうございます。

~質疑応答編に続く~

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